父と子と聖霊の名によって。アーメン。主の恵みと平安が、皆さまとともに。
主よ、憐れんでください。 キリスト、憐れんでください。 主よ、憐れんでください。
ポケットに手を突っ込み、少し照れくさそうに、でも穏やかに微笑みながらカメラの前に立つ少年の姿があります。その背後には、紫や黄色の鮮やかな花々が咲き誇る庭が広がっている。庭の緑と花の彩りの中にまっすぐ立つその姿は、あまりにも自然で、あまりにも日常のひとコマです。十五年という短い地上での歩みの中で、ベンジャミン・ヴォ君の周りには、いつもこうした静かな温もりと、家族の確かな絆がありました。パパのアランさん、ママのタオさん、そして弟のライアン君。その「完璧な四人」で世界中を旅し、ロエルの街並みから荘厳な大聖堂に至るまで、たくさんの足跡を世界に刻んできたベン君。彼の瞳はいつも、この世界がどれほど広大で、どれほど美しいもので満たされているかを見つめていました。
しかし、今ここにいる私たちは、その穏やかな写真の記憶と、胸を締め付けるような喪失感の狭間で立ち尽くしています。ベン君が天の国へと旅立ってから四ヶ月という月日が流れました。朝、目覚めた時のあの静けさ。リビングの椅子の脇にふと目をやった時、そこにいないはずのない姿を探してしまう瞬間。悲しみというものは、私たちが忘れた頃にやってくるのではなく、むしろ日常の何気ない隙間に、波のように静かに、しかし圧倒的な重さをもって満ちてきます。アランさん、タオさん、そしてライアン君。皆さんの胸の中にあるその重荷を、私たちは今日、ただありのままに神様の御前に差し出します。
今日の第一朗読で、主は不思議な言葉を告げられます。「イスラエルの僕、わたしの選んだ者のために、わたしはあなたを名によって呼んだ。あなたがわたしを知る前に、わたしはあなたに名を与えた」と。主は、異国の王キュロスに語りかけながら、彼がまだ自分を知らない時から、その手を握り、道を切り開いていたのだと告げます。ここに、一つの深い真理があります。私たちが神様を知るよりはるか前に、神様はすでに私たちを知っておられ、私たちの名前を呼んでおられるということです。ベン君がこの世に生を受けたことも、彼がその鋭い知性と、飛行機や技術への深い情熱をもって世界を見つめたことも、決して偶然の産物ではありませんでした。彼は、神様が「名によって呼んだ」大切な存在として、この世界に遣わされたのです。
ここで、一つのイメージを皆さんと分かち合いたいと思います。それは「硬貨に刻まれた刻印」というイメージです。今日の福音の中で、イエス様はローマのデナリオン銀貨を手に取り、「これは誰の姿であり、誰の銘文か」と尋ねられます。「カイサルのです」と答える群衆に、イエス様はあの有名な言葉を返されます。「カイサルのものはカイサルに、神のものは神に返しなさい」と。コインには為政者の顔が刻まれています。しかし、人間には何が刻まれているのでしょうか。創世記が告げるように、私たち一人ひとりは「神の似姿」として造られ、その存在の深みには、神ご自身の刻印が押されています。ベン君の人生を見つめる時、私たちは彼の心に深く刻まれたその神の似姿を見出すのです。
ベン君は、論理と数学を愛し、AIやクラウドインフラという最先端の世界に魅了される一方で、驚くほど優しく、柔らかな心の持ち主でした。かつて、叔父様が病に倒れた時、まだ十五歳だったベン君は、自分の全財産である貯金箱を「全部あげる」と申し出ました。実際にそれを壊す必要はなかったし、お金がすべての解決策だったわけでもありません。しかし、その「申し出」という行為そのものに、彼の魂の美しさがくっきりと表れていました。自分の手の中にあるものを握りしめるのではなく、大切な誰かのためにためらうことなく差し出そうとする心。それこそが、彼の心に刻まれた「神のもの」の証しでした。彼は、損得勘定を超えて愛することを、その短い人生のなかに深く刻み込んでいたのです。
しかし、愛する我が子を失った親の胸には、時に言葉にできないトゲが刺さります。あの日からずっと、心のどこかで自分を責めてしまうことはないでしょうか。「もっと何かできたのではないか」「自分の見落としがあったのではないか」。アランさん、タオさん、どうか今、その自責の念の石をご自身の胸からそっと下ろしてください。病というものは、人間のいかなる注意や配慮をも超えたところで訪れる、この世のあまりにも深い神秘です。あなた方は、ベン君にとって最高のパパであり、ママでした。彼が十五年間、これほどまでに愛され、世界中を旅し、家族の温もりの中でその才能と優しさを花咲かせたのは、ひとえにあなた方の献身のたまものです。神様はあなた方を決して責めておられません。むしろ、その深い愛のすべてをご存じであり、あなた方の涙の一滴一滴を、御手で優しく受け止めておられます。どうか、ご自身を赦してください。ベン君の人生は、神様の御前で完全なものでした。
ライアン君、お兄ちゃんは今もあなたのすぐそばにいます。あなたがこれから歩んでいく人生のどんな時も、お兄ちゃんは天国という一番高い空から、あの優しい笑顔で見守っています。あなたが笑い、自分の翼を広げて新しい空へと飛び立っていくこと。それこそが、お兄ちゃんにとって何よりの喜びです。悲しいときは、ふと空を見上げてみてください。お兄ちゃんが大好きだったあの飛行機が、雲の切れ間に航跡を描いていくように、あなたの歩む道を照らす光が必ず見つかります。あなたは一人ではありません。お兄ちゃんは、あなたが自分の人生という翼を広げ、愛と勇気をもって飛び立っていく姿を、天国から一番の特等席で応援してくれています。
画面の向こうでこの祈りに心を合わせているすべての方々へ。今、人生の重い十字架を背負い、夜の静けさの中で涙を流しているお父さん、お母さん、そして傷ついた子どもたち。どうか知ってください。あなたは決して一人ではありません。あなたのその苦しみも、涙も、すべて神様の大きな愛のなかに包まれています。私たちは神のものであり、神様は決して私たちを見放すことはありません。
今日、この祈りを終えてそれぞれの日常に戻るとき、ほんの少しだけでいいので、空を見上げてみてください。そして、自分を責める手を止めて、ただ深く息を吸い込んでみてください。ベンジャミンが教えてくれたように、目の前の人に優しい微笑みを向け、ただ今という瞬間を精一杯愛すること。それが、天国にいるベン君が今の私たちに願っていることです。彼は、私たちが悲しみに沈み続けることではなく、再び愛し、再び歩みだすことを、天国の入口で待っていてくれるはずです。平和の主が、アランさん、タオさん、ライアン君、そしてここに心を合わせるすべての人々に、深い癒やしと希望を注いでくださいますように。ベンジャミン・ヴォ君、あなたの美しい魂は、今、神様の無限の慈しみの中で永遠の安らぎの中にあります。どうか、あなたを愛してやまないご家族を、これからも優しく見守っていてください。アーメン。
For the intentions entrusted to Ben on our prayer wall:
At the Savior’s command and formed by divine teaching, we dare to say:
天におられるわたしたちの父よ、み名が聖とされますように。み国が来ますように。みこころが天に行われるとおり地にも行われますように。 わたしたちの日ごとの糧を今日もお与えください。わたしたちの罪をおゆるしください。わたしたちも人をゆるします。わたしたちを誘惑におちいらせず、悪からお救いください。アーメン。
主の慈しみと平和が、今日そしていつも、皆さまとともにありますように。アーメン。
✝ 全能の神があなたを祝福し、父と、子と、聖霊の恵みがあなたとと もにありますように。アーメン。