父と子と聖霊の御名によって。アーメン。恵みと平安が、わたしたちの父なる神と主イエス・キリストから、あなた方と共に。
主よ、憐れみてください。 キリストよ、憐れみてください。 主よ、憐れみてください。
私たちは今、静かな部屋の中で、机の上にきちんと置かれた一冊のノートや、お気に入りの鉛筆のそばに残された微かな温もりを見つめるような心持ちで、このみ言葉の前に集まっています。ベンジャミン・ヴォ君が天の国へと旅立ってから、四ヶ月という季節が巡りました。アランさん、タオさん、そしてライアン君。皆さんが日々、その不在という名の広大な静寂と向き合い、時にはどうしようもない孤独の波に飲み込まれそうになりながらも、今日という日を生きていることを、私たちは祈りをもって深く覚えていま。
今日の第一朗読で、聖パウロはフィリピの信徒たちに向けてこう書き送っています。「わたしを始めから今日まで福音にあずからせてくれたあなたがたの協力のゆえに、わたしは、あなたがたを思い出すごとに、わたしの神に感謝し……あなたがたのうちに良い業を始められた方は、キリスト・イエスの日までにそれを完成してくださると、私は確信しています」。パウロはここで、私たちの歩みが自分自身の力だけで完結するものではなく、神様という大きな御手によって始められ、そしてどんな時も支え続けられているのだと語っています。このパウロの言葉を、今日は「誰かが蒔いた種が、見えないところでしっかりと根を張っていく」という一つのイメージに重ねて心に留めてみたいと思います。
ベンジャミンという少年は、私たちが驚くほどの聡明な知性を持っていました。数学の論理を愛し、AIやクラウドインフラという最先端の世界に飛び込み、自分でコードを書いてゲームやアプリケーションを生み出すような、眩しいほどの才能の持ち主でした。彼は、自分の父親であるアランさんをまるで鏡のように見つめながら、その背中を追いかけ、大きな夢を描いていました。彼がいつか作りたいと語っていた「コン・チム航空」という名前を思い出すとき、彼は決まって少し照れくさそうに、けれど誇らしげに、あの優しい笑顔でクスクスと笑いました。空を愛し、飛行機を愛し、どこまでも広がる空の向こう側に思いを馳せていた彼の目は、まさに神様がこの世に授けてくれた、美しい光そのものでした。
ここで、私たちはあえて、皆さんの心を今も重く締め付けているトゲについて、静かに語らねばなりません。愛する我が子を失った親の胸には、どうしても拭い去れない問いが夜の静けさの中で渦巻きます。「あの時、もっと何かできたのではないか」「自分の見落としがあったのではないか」と、行き場のない自責の念に囚われてしまう夜がありませんか。アランさん、タオさん、どうか今、その自責の念の重い石を、ご自身の胸からそっと下ろしてください。病というものは、人間のいかなる注意や配慮をも超えたところで訪れる、この世のあまりにも深い神秘です。イエス様は、かつて盲人について問われたとき、それが誰かの罪や親の責任ではないことを明確に示されました。あなた方は、ベンジャミンにとって最高のパパであり、ママでした。彼が十五年間、これほどまでに深く愛され、世界中を旅し、家族の温もりの中でその才能と優しさを花咲かせたのは、ひとえにあなた方の献身のたまものです。神様はあなた方を決して責めておられません。むしろ、その涙の一滴一滴を御手で優しく受け止め、すべての愛をご存じです。どうかご自身を赦してください。あなたは何も見落としてなどいません。
今日の福音では、イエス様が安息日にファリサイ派の指導者の家で食事をともにされる場面が描かれています。その目の前には、水腫を患っている一人の人がいました。律法の厳格なきまりによって「ここでは癒やしてはならない」と誰もが息を潜めて見つめる中、イエス様は問われます。「安息日に病気を直すことは、律法に適っているか、いないか」。しかし、人々は沈黙しました。その沈黙の中で、イエス様はその人を抱き起こし、癒やし、そして静かに解き放たれました。そしてこう問われます。「あなたたちのうちの誰かが、息子や牛が井戸に落ちたら、安息日であってもすぐに引き上げてやらないだろうか」。
この「井戸に落ちた者を、ためらうことなく引き上げる」というイエス様のまなざしは、かつてベンジャミン君がその心で見せた、ある美しい瞬間を思い起こさせます。彼がまだ十五歳という若さだった頃、叔父様が病に倒れられたことを聞いたとき、彼は自分の全財産である貯金箱を「全部あげる」と申し出ました。実際にそれを壊す必要はなかったし、お金がすべての解決策だったわけでもありません。しかし、その「申し出」という行為そのものに、彼の魂の美しさがくっきりと言い表されていました。自分の手の中にあるものをぎゅっと握りしめるのではなく、大切な誰かのために、ためらうことなくそのすべてを差し出そうとする心。それは、彼が神様から受け取っていた愛が、そのまま彼の内側から溢れ出た瞬間でした。彼は誰に強いられることもなく、自らの優しさによって、周囲の人の心を温めていたのです。その愛の記憶は、今もベトナムの村々にきれいな水を届ける「ギエン・ジョアン・バオティシタ」の井戸となって、生き続けています。彼の愛は死を超えて、今も喉の渇いた人々の命を潤しているのです。
ライアン君、お兄ちゃんは今もあなたのすぐそばにいます。あなたがこれから歩んでいく人生のどんな時も、お兄ちゃんは天国という一番高い空から、あの優しい笑顔で見守っています。あなたが笑い、自分の翼を広げて新しい空へと飛び立っていくこと。それこそが、お兄ちゃんにとって何よりの喜びです。悲しいときは、ふと空を見上げてみてください。お兄ちゃんが大好きだったあの飛行機が、雲の切れ間に航跡を描いていくように、あなたの歩む道を照らす光が必ず見つかります。あなたは一人ではありません。お兄ちゃんは、あなたが自分の人生という翼を広げ、愛と勇気をもって飛び立っていく姿を、天国から一番の特等席で応援してくれています。
画面の向こうでこの祈りに心を合わせているすべての方々へ。もし今、人生の重い十字架を背負い、夜の静けさの中で涙を流しているお父さん、お母さん、そして傷ついた子どもたちがいるなら、どうか知ってください。あなたは決して一人ではありません。あなたのその苦しみも、涙も、すべて神様の大きな愛のなかに包まれています。私たちは神のものであり、神様は決して私たちを見放すことはありません。私たちは今、ベンジャミン君が教えてくれたあの純粋な愛を、少しずつ自分たちの生活の中に植え付けていくことができます。困っている誰かに微笑みかけること、大切な人のために静かに祈ること、あるいは、ただ空を見上げて「ありがとう」とつぶやくこと。その小さな積み重ねが、ベン君が天国から見守る私たちの、新しい生き方なのです。
ベンジャミン・ヴォ君、あなたの美しい魂は、今、神様の無限の慈しみの中で永遠の安らぎの中にあります。どうか、あなたを愛してやまないご家族を、これからも優しく見守っていてください。そして、いつか私たちが旅路を終えるその時、あなたが一番の笑顔で待っていてくれることを信じています。平和の主が、アランさん、タオさん、ライアン君、そしてここに心を合わせるすべての人々に、深い癒やしと希望を注いでくださいますように。今日、この祈りを終えてそれぞれの日常に戻るとき、ほんの少しだけでいいので、空を見上げてみてください。そして、自分を責める手を止めて、ただ深く息を吸い込んでみてください。ベンジャミンが教えてくれたように、目の前の人に優しい微笑みを向け、ただ今という瞬間を精一杯愛すること。それが、天国にいるベン君が今の私たちに願っていることです。アーメン。
For the intentions entrusted to Ben on our prayer wall:
At the Savior’s command and formed by divine teaching, we dare to say:
天におられるわたしたちの父よ、み名が聖とされますように。み国が来ますように。みこころが天に行われるとおり地にも行われますように。 わたしたちの日ごとの糧を今日もお与えください。わたしたちの罪をおゆるしください。わたしたちも人をゆるします。わたしたちを誘惑におちいらせず、悪からお救いください。アーメン。
主の平和がいつもあなたと共に。全能の神、父と子と聖霊の祝福が、あなたにとどまりますように。アーメン。
✝ 全能の神があなたを祝福し、父と、子と、聖霊の恵みがあなたとと もにありますように。アーメン。