父と子と聖霊の御名によって。主の平和が、ここに集う皆さんと、画面を通して心を合わせているすべての方々にありますように。
主よ、憐れんでください。 キリストよ、憐れんでください。 主よ、憐れんでください。
今日の福音の中で、イエス様は非常に厳しい言葉を投げかけられます。ファリサイ派の人々が、ミントや香草の十分の一を捧げるという細かな律法にこだわりながら、一方で「神への愛」という最も大切な本質を置き去りにしていることを指摘されたのです。彼らは、外側を磨き、正しいとされる手順を踏むことには熱心でしたが、その心の奥底にあるべき慈しみや正義については、驚くほど無関心でした。イエス様は彼らに、「これこそ行うべきことであり、あちらもおろそかにしてはならない」と言われました。つまり、形式だけを整えるのではなく、内側から溢れ出る愛をこそ、神は求めておられるのです。
この「外側」と「内側」という対比を考えるとき、私はベンジャミン・ヴォ君という、あの聡明で優しい少年の姿を思い出します。ベン君は、数学の難問を解き、AIやクラウドインフラという、目に見えない論理の世界を誰よりも楽しむ少年でした。彼は、自分のパソコンに向かい、コードを書き、未来の技術を構築することに没頭していました。しかし、彼が本当に大切にしていたのは、その知性そのものよりも、その知性が導く「優しさ」でした。ベン君にとっての「神への愛」とは、決して遠い概念ではなく、日常の具体的な行為の中にありました。
皆さん、ベン君が叔父様の病を知ったとき、自分の大切にしていた貯金箱を「全部あげる」と申し出たあの瞬間を覚えていますか。彼は実際にその貯金箱を壊したわけではありません。しかし、その「申し出」という行為そのものに、彼はすでに神の宴のホールに一番乗りで座っていたのです。彼は、自分の小さな手の中に握りしめていたものよりも、誰かの痛みを和らげることの方に、はるかに大きな喜びを見出していました。それは、損得勘定を捨て、ただ愛する人のために心を差し出すという、福音の真髄を生きる姿でした。彼は、外側の形式ではなく、内側の愛によって、すでに神様の国をその心に宿していたのです。
アランさん、タオさん、そしてライアン君。ベン君が天へ帰ってから四ヶ月が経ちました。皆さんの心には、今も「なぜ」という問いが、出口のない迷路のように続いているかもしれません。なぜ、あんなに賢く、あんなに優しい子が、こんなにも早く旅立たなければならなかったのか。その問いは、かつてイエス様に招かれた家で、外側の作法にこだわった人々の硬い心とは対照的な、愛する人を想うがゆえの切実な叫びです。しかし、どうか今日、この聖なる沈黙の中で、その重荷を神様の御前に下ろしてください。多くの親御さんが、愛する子を失ったとき、自分を責めます。「もっと何かできたのではないか」「何を見落としたのか」と。アランさん、タオさん、どうか聞いてください。イエス様が、生まれつき目の見えない人を見て「この人も、両親も罪を犯したわけではない」と言われたように、病というものは、誰の罰でもなく、人間のいかなる注意や配慮をも超えたところで訪れる、この世の悲しい神秘です。あなた方は何も見落としていません。あなた方は、ベン君にとって最高のパパであり、ママでした。彼が十五年間、これほどまでに愛され、世界中を旅して多くの喜びを感じることができたのは、ひとえにあなた方の献身のおかげです。神様はあなた方を決して責めてはおられません。むしろ、その深い献身のすべてをご存じであり、あなた方の涙の一滴一滴を御手で受け止めておられます。どうか、ご自身を赦してください。ベン君は、あなた方の愛という最高の土壌で育ち、その魂を美しく開花させました。それは、神様が望まれた通りの、完璧な人生でした。
今日の第一朗読で、聖パウロは「霊に導かれているなら、あなたがたは律法の下にはいない」と語ります。私たちは、自分の力で人生をコントロールし、結果を出すことで自分の価値を証明しようとする「奴隷」のような思いに縛られがちです。しかし、神様がベン君の人生を通して示してくださったのは、そのような計算とは無縁の「自由」でした。ベン君は、航空機を愛し、飛行機を眺めることを喜びました。空を飛ぶ巨大な機体が、重力に逆らって浮かび上がるように、ベン君の魂もまた、この世の苦しみや重荷を超えて、神様の愛という大きな空へと羽ばたいていきました。彼はもう、この世の形式や、病の苦しみという「重い yoke(くびき)」から完全に解放されています。彼は、今、神様の無限の慈しみの中で、何も恐れることなく、安らぎの中にいます。
ライアン君、お兄ちゃんは今もあなたのすぐそばにいます。あなたがこれから歩んでいく人生のどんな時も、お兄ちゃんは天国という一番高い空から、あの優しい笑顔で見守っています。あなたが笑い、自分の翼を広げて新しい空へと飛び立っていくこと。それこそが、お兄ちゃんにとって何よりの喜びです。悲しいときは、ふと空を見上げてみてください。お兄ちゃんが大好きだったあの飛行機が、雲の切れ間に航跡を描いていくように、あなたの歩む道を照らす光が必ず見つかります。あなたは一人ではありません。お兄ちゃんは、あなたが自分の人生という翼を広げ、愛と勇気をもって飛び立っていく姿を、天国から一番の特等席で応援してくれています。お兄ちゃんが遺した知恵や、夢や、優しさは、すべてあなたの中に受け継がれています。あなたは、その愛の継承者として、これからもお兄ちゃんが愛したこの世界を、より温かい場所にしていくことができるはずです。お兄ちゃんが夢見た「コン・チム航空」の翼は、今、天の国という完成された場所で、あなたの人生を支える追い風となっています。
私たちは、杯の外側を洗うことばかりに気を取られ、内側にある「愛の飢え」を忘れてしまうことがあります。イエス様は言われます。「内側にあるものを施しなさい。そうすれば、すべてが清くなる」と。これは、私たちが何かを無理に差し出すということではなく、すでに私たちの内側にある神様の愛を、ただ溢れさせるということです。ベン君が教えてくれたように、ただ精一杯、今この瞬間を愛すること。誰かのために心を配り、微笑みかけること。それこそが、私たちを清くし、神様の宴へと招く招待状なのです。
画面の向こうでこの祈りに心を合わせているすべての方々へ。もし今、あなたが深い悲しみの中にいるなら、どうか知ってください。あなたは一人ではありません。あなたの苦しみは、キリストの十字架と一つに結ばれています。神様は、あなたの涙をご存じです。どんなに暗い夜であっても、神様の愛は枯れることはありません。今日、この祈りを終えてそれぞれの日常に戻るとき、ほんの少しだけでいいので、空を見上げてみてください。そして、自分を責める手を止めて、ただ深く息を吸い込んでみてください。ベンジャミンが遺してくれたその優しい心を、今日一日、誰か一人のために使ってみてください。誰かに微笑みかけること、誰かの話に耳を傾けること、あるいはただ、静かに誰かのために祈ること。それが、ベンジャミンが今の私たちに願っていることではないでしょうか。彼は、私たちが悲しみに沈むことよりも、私たちが再び愛し、再び歩みだすことを、天国から一番の笑顔で待っていてくれるはずです。平和の主が、アランさん、タオさん、ライアン君、そしてここに集うすべての人々に、深い癒やしと希望を注いでくださいますように。ベンジャミン・ヴォ君、あなたの美しい魂は、今、神様の無限の慈しみの中で永遠の安らぎの中にあります。どうか、あなたを愛してやまないご家族を、これからも優しく見守ってください。アーメン。
For the intentions entrusted to Ben on our prayer wall:
At the Savior’s command and formed by divine teaching, we dare to say:
天におられるわたしたちの父よ、み名が聖とされますように。み国が来ますように。みこころが天に行われるとおり地にも行われますように。 わたしたちの日ごとの糧を今日もお与えください。わたしたちの罪をおゆるしください。わたしたちも人をゆるします。わたしたちを誘惑におちいらせず、悪からお救いください。アーメン。
主があなたを祝福し、守られますように。主が御顔をあなたに向けて、慈しみを注がれますように。父と子と聖霊の御名によって。アーメン。
✝ 全能の神があなたを祝福し、父と、子と、聖霊の恵みがあなたとと もにありますように。アーメン。