父と子と聖霊のみ名によって。アーメン。主が皆さまとともに。
主よ、憐れんでください。 キリスト、憐れんでください。 主よ、憐れんでください。
私たちは今、古い教会の歴史ある長い木の長椅子に腰掛け、窓の外から差し込む午後の柔らかな光を見つめるような心持ちで、このみ言葉の前に集まっています。ベンジャミン・ヴォ君が天の国へと旅立ってから四ヶ月という季節が巡りました。アランさん、タオさん、そしてライアン君。皆さんが日々、その不在という名の広大な静寂と向き合い、時にはどうしようもない孤独の波に飲み込まれそうになりながらも、今日という日を生き抜いていることを、私たちは祈りをもって深く覚えていま。
今日の第一朗読で、使徒パウロはローマの牢獄からフィリピの教会へ向けてこう書き送っています。「私の切なる期待と希望は、私がどんなことにおいても恥を受けることなく、これまでのように今も、生きるにしても死ぬにしても、私の身によってキリストが大きくあがめられるということです。私にとっては、生きることがキリストであり、死ぬことは利益なのです」。パウロはここで、自分の命のハンドルをしっかりと神の御手に委ねています。生きることは苦しみから逃れることではなく、死ぬことは恐怖ではなく、どちらであってもキリストと共に生きるという一点において満たされているのだと告げているのです。このパウロの言葉を、今日は「旅人が自分の背負う荷物をそっと置き、前方の景色をまっすぐに見上げる」という一つのイメージに重ねて心に留めてみたいと思います。
ベンジャミンという少年は、私たちが驚くほどの聡明な知性を持っていました。彼は十五歳という若さでありながら、数学の論理を愛し、AIやクラウドインフラという最先端の技術の世界に飛び込み、自分でコードを書いてゲームやアプリケーションを生み出すような、眩しいほどの才能の持ち主でした。彼は、父親であるアランさんの背中をまるで鏡のように見つめながら、大きな夢を描いていました。彼がいつか作りたいと語っていた「コン・チム航空」という名前を思い出すとき、彼は決まって少し照れくさそうに、けれど誇らしげに、あの優しい笑顔でクスクスと笑いました。空を愛し、飛行機を愛し、どこまでも広がる空の向こう側に思いを馳せていた彼の目は、まさに神様がこの世に授けてくれた美しい光そのものでした。
ここで、私たちはあえて、皆さんの心を今も重く締め付けているトゲについて、静かに語らねばなりません。愛する我が子を失った親の胸には、どうしても拭い去れない問いが夜の静けさの中で渦巻きます。「あの時、もっと何かできたのではないか」「自分の見落としがあったのではないか」と、行き場のない自責の念に囚われてしまう夜がありませんか。アランさん、タオさん、どうか今、その自責の念の重い石を、ご自身の胸からそっと下ろしてください。病というものは、人間のいかなる注意や配慮をも超えたところで訪れる、この世のあまりにも深い神秘です。イエス様は、かつて盲人について問われたとき、それが誰かの罪や親の責任ではないことを明確に示されました。あなた方は、ベンジャミンにとって最高のパパであり、ママでした。彼が十五年間、これほどまでに深く愛され、世界中を旅し、家族の温もりの中でその才能と優しさを花咲かせたのは、ひとえにあなた方の献身のたまものです。神様はあなた方を決して責めてはおられません。むしろ、その涙の一滴一滴を御手で優しく受け止め、すべての愛をご存じです。どうかご自身を赦してください。あなたは何も見落としてなどいません。
今日の福音では、イエス様が安息日に指導者の家に招かれて食事をともにされる場面が描かれています。人々が上座を選んで座ろうとする様子をご覧になったイエス様は、こうたとえ話を語られます。「招かれたときは、末席に行きなさい。そうすれば、あなたを招いた主人が来て、『さあ、上座にお進みください』と言ってくれるだろう。だれでも高ぶる者は低くされ、へりくだる者は高められる」。イエス様がここで教えておられるのは、世の中の競争や見栄えの世界とは全く異なる、神様の国の秩序です。自分で自分の居場所を勝ち取ろうと肩肘を張る必要はない。神様があなたをどこに置こうとも、その場所には深い意味があり、愛があるのだと。
この「末席に身を置きながらも、主人の愛によって引き上げられる」というまなざしは、かつてベンジャミン君がその心で見せた、ある美しい瞬間を思い起こさせます。彼がまだ十五歳という若さだった頃、叔父様が病に倒れられたことを聞いたとき、彼は自分の全財産である貯金箱を「全部あげる」と申し出ました。実際にそれを壊す必要はなかったし、お金がすべての解決策だったわけでもありません。しかし、その「申し出」という行為そのものに、彼の魂の美しさがくっきりと言い表されていました。自分の手の中にあるものをぎゅっと握りしめるのではなく、大切な誰かのために、ためらうことなくそのすべてを差し出そうとする心。それは、彼が神様から受け取っていた愛が、そのまま彼の内側から溢れ出た瞬間でした。彼は誰に強いられることもなく、自らの優しさによって、周囲の人の心を温めていたのです。その愛の記憶は、今もベトナムの村々にきれいな水を届ける「ギエン・ジョアン・バオティシタ」の井戸となって、生き続けています。彼の愛は死を超えて、今も喉の渇いた人々の命を潤しているのです。
ライアン君、お兄ちゃんは今もあなたのすぐそばにいます。あなたがこれから歩んでいく人生のどんな時も、お兄ちゃんは天国という一番高い空から、あの優しい笑顔で見守っています。あなたが笑い、自分の翼を広げて新しい空へと飛び立っていくこと。それこそが、お兄ちゃんにとって何よりの喜びです。悲しいときは、ふと空を見上げてみてください。お兄ちゃんが大好きだったあの飛行機が、雲の切れ間に航跡を描いていくように、あなたの歩む道を照らす光が必ず見つかります。あなたは一人ではありません。お兄ちゃんは、あなたが自分の人生という翼を広げ、愛と勇気をもって飛び立っていく姿を、天国から一番の特等席で応援してくれています。
画面の向こうでこの祈りに心を合わせているすべての方々へ。もし今、人生の重い十字架を背負い、夜の静けさの中で涙を流しているお父さん、お母さん、そして傷ついた子どもたちがいるなら、どうか知ってください。あなたは決して一人ではありません。あなたのその苦しみも、涙も、すべて神様の大きな愛のなかに包まれています。私たちは神のものであり、神様は決して私たちを見放すことはありません。私たちは今、ベンジャミン君が教えてくれたあの純粋な愛を、少しずつ自分たちの生活の中に植え付けていくことができます。困っている誰かに微笑みかけること、大切な人のために静かに祈ること、あるいは、ただ空を見上げて「ありがとう」とつぶやくこと。その小さな積み重ねが、ベン君が天国から見守る私たちの、新しい生き方なのです。
ベンジャミン・ヴォ君、あなたの美しい魂は、今、神様の無限の慈しみの中で永遠の安らぎの中にあります。どうか、あなたを愛してやまないご家族を、これからも優しく見守っていてください。そして、いつか私たちが旅路を終えるその時、あなたが一番の笑顔で待っていてくれることを信じています。平和の主が、アランさん、タオさん、ライアン君、そしてここに心を合わせるすべての人々に、深い癒やしと希望を注いでくださいますように。今日、この祈りを終えてそれぞれの日常に戻るとき、ほんの少しだけでいいので、空を見上げてみてください。そして、自分を責める手を止めて、ただ深く息を吸い込んでみてください。ベンジャミンが教えてくれたように、目の前の人に優しい微笑みを向け、ただ今という瞬間を精一杯愛すること。それが、天国にいるベン君が今の私たちに願っていることです。アーメン。
For the intentions entrusted to Ben on our prayer wall:
At the Savior’s command and formed by divine teaching, we dare to say:
天におられるわたしたちの父よ、み名が聖とされますように。み国が来ますように。みこころが天に行われるとおり地にも行われますように。 わたしたちの日ごとの糧を今日もお与えください。わたしたちの罪をおゆるしください。わたしたちも人をゆるします。わたしたちを誘惑におちいらせず、悪からお救いください。アーメン。
主の平和がいつも皆さまとともに。全能の神、父と子と聖霊の祝福が、皆さんとともに、そして今も、そしていつまでも留まりますように。アーメン。
✝ 全能の神があなたを祝福し、父と、子と、聖霊の恵みがあなたとと もにありますように。アーメン。