父と子と聖霊の御名によって。主の平和が、ここに集う皆さん、そして画面の向こうで心を合わせるすべての家族の上にありますように。
主よ、憐れんでください。 キリストよ、憐れんでください。 主よ、憐れんでください。
今日の福音で、王は盛大な婚礼の宴を催します。招かれた人々は、それぞれの農場や商売という「自分の世界」に閉じこもり、王の招きを拒絶します。王は激怒しますが、その怒りの先にあるのは、宴のホールを空のままにしておくことへの拒絶でした。王は言います。「通りに出て、見つけた者はだれでも宴会に連れて来なさい」。そしてホールは、善い者も悪い者も、見知らぬ者たちで満たされます。この物語は、神の招きが私たちの狭い計画や日常の都合をはるかに超え、誰一人として排除されない「開かれた食卓」であることを示しています。
この宴の風景を想うとき、ベンジャミン・ヴォ君という少年の、あの開かれた心を思い出します。ベン君は、数学やAI、そして航空機という、緻密で論理的な世界を愛する少年でした。しかし、彼の魂の真ん中には、決して閉ざされることのない「招待状」が置かれていました。ある日、彼は自分の貯金箱を差し出し、病に苦しむ叔父様を助けたいと申し出ました。実際にその貯金箱を壊す必要はなかったし、お金がすべての解決策だったわけではありません。しかし、彼が「僕のすべてをあげたい」と口にしたあの瞬間、彼はすでに、神の宴のホールに一番乗りで座っていたのです。彼は、自分の小さな手の中に握りしめていたものよりも、誰かの痛みを和らげることの方に、はるかに大きな喜びを見出していました。それは、損得勘定を捨て、ただ愛する人のために心を差し出すという、福音の真髄を生きる姿でした。
アランさん、タオさん、そしてライアン君。ベン君が天へ帰ってから三ヶ月が経ちました。皆さんの心には、今も「なぜ」という問いが、出口のない迷路のように続いているかもしれません。なぜ、あんなに賢く、あんなに優しい子が、こんなにも早く旅立たなければならなかったのか。その問いは、かつて王の宴に招かれながらも、自分の都合で背を向けてしまった人々とは対照的な、愛する人を想うがゆえの切実な叫びです。しかし、どうか今日、この聖なる沈黙の中で、その重荷を神様の御前に下ろしてください。多くの親御さんが、愛する子を失ったとき、自分を責めます。「もっと何かできたのではないか」「何を見落としたのか」。アランさん、タオさん、どうか聞いてください。イエス様が、生まれつき目の見えない人を見て「この人も、両親も罪を犯したわけではない」と言われたように、病というものは、誰の罰でもなく、人間のいかなる注意や配慮をも超えたところで訪れる、この世の悲しい神秘です。あなた方は何も見落としていません。あなた方は、ベン君にとって最高のパパであり、ママでした。彼が十五年間、これほどまでに愛され、世界中を旅して多くの喜びを感じることができたのは、ひとえにあなた方の献身のおかげです。神様はあなた方を決して責めてはおられません。むしろ、その深い献身のすべてをご存じであり、あなた方の涙の一滴一滴を御手で受け止めておられます。どうか、ご自身を赦してください。ベン君は、あなた方の愛という最高の土壌で育ち、その魂を美しく開花させました。それは、神様が望まれた通りの、完璧な人生でした。
今日の第一朗読で、イザヤは「主は死を永遠に滅ぼし、すべての顔から涙をぬぐわれる」と預言します。これは、遠い未来の約束であると同時に、今この瞬間、神様がベン君の涙をぬぐい、彼を御手の内に抱いているという確信でもあります。ベン君が夢見た「コン・チム航空」の翼は、今、天の国という完成された場所で、彼自身を運び、安らぎの地へと導きました。彼は今、私たちがたどり着くべき、あの婚礼の宴の席で、一番の笑顔で皆さんの到着を待っています。
ライアン君、お兄ちゃんは今もあなたのすぐそばにいます。あなたがこれから歩んでいく人生のどんな時も、お兄ちゃんは天国という一番高い空から、あの優しい笑顔で見守っています。あなたが笑い、自分の翼を広げて新しい空へと飛び立っていくこと。それこそが、お兄ちゃんにとって何よりの喜びです。悲しいときは、ふと空を見上げてみてください。お兄ちゃんが大好きだったあの飛行機が、雲の切れ間に航跡を描いていくように、あなたの歩む道を照らす光が必ず見つかります。あなたは一人ではありません。お兄ちゃんは、あなたが自分の人生という翼を広げ、愛と勇気をもって飛び立っていく姿を、天国から一番の特等席で応援してくれています。お兄ちゃんが遺した知恵や、夢や、優しさは、すべてあなたの中に受け継がれています。あなたは、その愛の継承者として、これからもお兄ちゃんが愛したこの世界を、より温かい場所にしていくことができるはずです。
聖パウロはフィリピの信徒への手紙で、「わたしは、どのような境遇にあっても、すべてを耐える力が与えられています」と語ります。これは、自分の力で強くなるということではありません。キリストという、弱さを引き受けてくださる方と一つになることで、どんな悲しみも、どんな欠乏も、神の恵みに変えられるという約束です。ベン君の人生は、たとえ短くとも、この「キリストに結ばれた力」を体現していました。彼は、自分の小さな手で世界を理解しようとし、その心で家族を愛し抜きました。そして今、彼はその愛のすべてを、神様の豊かな食卓へと持ち帰りました。
画面の向こうでこの祈りに心を合わせているすべての方々へ。もし今、あなたが深い悲しみの中にいるなら、どうか知ってください。あなたは一人ではありません。あなたの苦しみは、キリストの十字架と一つに結ばれています。神様は、あなたの涙をご存じです。どんなに暗い夜であっても、神様の愛は枯れることはありません。今日、この祈りを終えてそれぞれの日常に戻るとき、ほんの少しだけでいいので、空を見上げてみてください。そして、自分を責める手を止めて、ただ深く息を吸い込んでみてください。ベンジャミンが教えてくれたように、ただ精一杯、今この瞬間を愛すること。それが、私たちにできる唯一の、そして最も美しい祈りです。愛は決して滅びません。ベンジャミンの愛も、皆さんの愛も、神様の愛の中で永遠に結ばれています。
愛する皆さん、ベン君が遺してくれたその優しい心を、今日一日、誰か一人のために使ってみてください。誰かに微笑みかけること、誰かの話に耳を傾けること、あるいはただ、静かに誰かのために祈ること。それが、ベンジャミンが今の私たちに願っていることではないでしょうか。彼は、私たちが悲しみに沈むことよりも、私たちが再び愛し、再び歩みだすことを、天国から一番の笑顔で待っていてくれるはずです。平和の主が、アランさん、タオさん、ライアン君、そしてここに集うすべての人々に、深い癒やしと希望を注いでくださいますように。ベンジャミン・ヴォ君、あなたの美しい魂は、今、神様の無限の慈しみの中で永遠の安らぎの中にあります。どうか、あなたを愛してやまないご家族を、これからも優しく見守っていてください。アーメン。
For the intentions entrusted to Ben on our prayer wall:
At the Savior’s command and formed by divine teaching, we dare to say:
天におられるわたしたちの父よ、み名が聖とされますように。み国が来ますように。みこころが天に行われるとおり地にも行われますように。 わたしたちの日ごとの糧を今日もお与えください。わたしたちの罪をおゆるしください。わたしたちも人をゆるします。わたしたちを誘惑におちいらせず、悪からお救いください。アーメン。
主があなたを祝福し、守ってくださいますように。主が御顔をあなたに向けて、平和を与えてくださいますように。父と子と聖霊の御名によって。アーメン。
✝ 全能の神があなたを祝福し、父と、子と、聖霊の恵みがあなたとと もにありますように。アーメン。