父と子と聖霊の御名によって。主の平和が、ここに集う皆さんと、画面の向こうで祈るすべての方々の上にありますように。
主よ、憐れんでください。 キリストよ、憐れんでください。 主よ、憐れんでください。
食卓に招かれるということは、単に食事を共にする以上の意味を持っています。それは、互いの人生を差し出し、心を開き合うという聖なる交わりです。今日の福音で、イエス様はファリサイ派の人の家に招かれます。しかし、その食卓は温かい交流の場ではなく、形式や律法、そして「外側」の清さを巡る監視の場となってしまいました。ファリサイ派の人は、イエス様が食事の前の規定に従わなかったことに驚き、心の中で裁きを下します。それに対してイエス様は、鋭く、しかし深い愛をもって指摘されます。「杯や皿の外側を洗っても、内側は貪欲と邪悪で満ちている」と。
私たちは、この「外側」と「内側」という対比の中に、自分たちの生き方を重ねてしまうことはないでしょうか。私たちは日々、社会の期待に応え、正しいとされている手順を踏み、外見を整えることに必死です。しかし、ふと立ち止まったとき、その内側で、言葉にならない悲しみや、誰にも言えない重荷が、まるで重い石のように沈んでいることに気づくのです。ベンジャミン・ヴォ君という、あの聡明で優しい少年を想うとき、私は彼が持っていた「内側の輝き」を思い出します。ベン君は、数学やAI、そして航空機という論理の世界を愛し、その知性は大人顔負けの鋭さを持っていました。しかし、彼が本当に大切にしていたのは、その知性そのものよりも、その知性が導く「優しさ」でした。
皆さん、ベン君が叔父様の病を知ったとき、自分の大切にしていた貯金箱を「全部あげる」と申し出たあの瞬間を覚えていますか。彼は実際にその貯金箱を壊したわけではありません。しかし、その「申し出」という行為そのものに、彼はすでに神様の宴のホールに一番乗りで座っていたのです。彼は、自分の小さな手の中に握りしめていたものよりも、誰かの痛みを和らげることの方に、はるかに大きな喜びを見出していました。それは、損得勘定を捨て、ただ愛する人のために心を差し出すという、福音の真髄を生きる姿でした。彼は、外側の形式ではなく、内側の愛によって、すでに神様の国をその心に宿していたのです。
アランさん、タオさん、そしてライアン君。ベン君が天へ帰ってから四ヶ月が経ちました。皆さんの心には、今も「なぜ」という問いが、出口のない迷路のように続いているかもしれません。なぜ、あんなに賢く、あんなに優しい子が、こんなにも早く旅立たなければならなかったのか。その問いは、かつてイエス様に招かれた家で、外側の作法にこだわった人々の硬い心とは対照的な、愛する人を想うがゆえの切実な叫びです。しかし、どうか今日、この聖なる沈黙の中で、その重荷を神様の御前に下ろしてください。多くの親御さんが、愛する子を失ったとき、自分を責めます。「もっと何かできたのではないか」「何を見落としたのか」と。アランさん、タオさん、どうか聞いてください。イエス様が、生まれつき目の見えない人を見て「この人も、両親も罪を犯したわけではない」と言われたように、病というものは、誰の罰でもなく、人間のいかなる注意や配慮をも超えたところで訪れる、この世の悲しい神秘です。あなた方は何も見落としていません。あなた方は、ベン君にとって最高のパパであり、ママでした。彼が十五年間、これほどまでに愛され、世界中を旅して多くの喜びを感じることができたのは、ひとえにあなた方の献身のおかげです。神様はあなた方を決して責めてはおられません。むしろ、その深い献身のすべてをご存じであり、あなた方の涙の一滴一滴を御手で受け止めておられます。どうか、ご自身を赦してください。ベン君は、あなた方の愛という最高の土壌で育ち、その魂を美しく開花させました。それは、神様が望まれた通りの、完璧な人生でした。
今日の第一朗読で、聖パウロは「キリストはわたしたちを自由にするために、自由の身にしてくださった」と力強く宣言します。私たちは、自分の力で人生をコントロールし、結果を出すことで自分の価値を証明しようとする「奴隷」のような思いに縛られがちです。しかし、神様がベン君の人生を通して示してくださったのは、そのような計算とは無縁の「自由」でした。彼は、自分の小さな手で世界を理解しようとし、その心で家族を愛し抜きました。そして今、彼はその愛のすべてを、神様の豊かな食卓へと持ち帰りました。彼はもう、この世の形式や、病の苦しみという「重い yoke(くびき)」から完全に解放されています。彼は、今、神様の無限の慈しみの中で、何も恐れることなく、安らぎの中にいます。
ライアン君、お兄ちゃんは今もあなたのすぐそばにいます。あなたがこれから歩んでいく人生のどんな時も、お兄ちゃんは天国という一番高い空から、あの優しい笑顔で見守っています。あなたが笑い、自分の翼を広げて新しい空へと飛び立っていくこと。それこそが、お兄ちゃんにとって何よりの喜びです。悲しいときは、ふと空を見上げてみてください。お兄ちゃんが大好きだったあの飛行機が、雲の切れ間に航跡を描いていくように、あなたの歩む道を照らす光が必ず見つかります。あなたは一人ではありません。お兄ちゃんは、あなたが自分の人生という翼を広げ、愛と勇気をもって飛び立っていく姿を、天国から一番の特等席で応援してくれています。お兄ちゃんが遺した知恵や、夢や、優しさは、すべてあなたの中に受け継がれています。あなたは、その愛の継承者として、これからもお兄ちゃんが愛したこの世界を、より温かい場所にしていくことができるはずです。お兄ちゃんが夢見た「コン・チム航空」の翼は、今、天の国という完成された場所で、あなたの人生を支える追い風となっています。
私たちは、杯の外側を洗うことばかりに気を取られ、内側にある「愛の飢え」を忘れてしまうことがあります。イエス様は言われます。「内側にあるものを施しなさい。そうすれば、すべてが清くなる」と。これは、私たちが何かを無理に差し出すということではなく、すでに私たちの内側にある神様の愛を、ただ溢れさせるということです。ベン君が教えてくれたように、ただ精一杯、今この瞬間を愛すること。誰かのために心を配り、微笑みかけること。それこそが、私たちを清くし、神様の宴へと招く招待状なのです。
画面の向こうでこの祈りに心を合わせているすべての方々へ。もし今、あなたが深い悲しみの中にいるなら、どうか知ってください。あなたは一人ではありません。あなたの苦しみは、キリストの十字架と一つに結ばれています。神様は、あなたの涙をご存じです。どんなに暗い夜であっても、神様の愛は枯れることはありません。今日、この祈りを終えてそれぞれの日常に戻るとき、ほんの少しだけでいいので、空を見上げてみてください。そして、自分を責める手を止めて、ただ深く息を吸い込んでみてください。ベンジャミンが遺してくれたその優しい心を、今日一日、誰か一人のために使ってみてください。誰かに微笑みかけること、誰かの話に耳を傾けること、あるいはただ、静かに誰かのために祈ること。それが、ベンジャミンが今の私たちに願っていることではないでしょうか。彼は、私たちが悲しみに沈むことよりも、私たちが再び愛し、再び歩みだすことを、天国から一番の笑顔で待っていてくれるはずです。平和の主が、アランさん、タオさん、ライアン君、そしてここに集うすべての人々に、深い癒やしと希望を注いでくださいますように。ベンジャミン・ヴォ君、あなたの美しい魂は、今、神様の無限の慈しみの中で永遠の安らぎの中にあります。どうか、あなたを愛してやまないご家族を、これからも優しく見守っていてください。アーメン。
For the intentions entrusted to Ben on our prayer wall:
At the Savior’s command and formed by divine teaching, we dare to say:
天におられるわたしたちの父よ、み名が聖とされますように。み国が来ますように。みこころが天に行われるとおり地にも行われますように。 わたしたちの日ごとの糧を今日もお与えください。わたしたちの罪をおゆるしください。わたしたちも人をゆるします。わたしたちを誘惑におちいらせず、悪からお救いください。アーメン。
主の祝福が、今も、そしてこれからも、皆さんとともにありますように。父と子と聖霊の御名によって。アーメン。
✝ 全能の神があなたを祝福し、父と、子と、聖霊の恵みがあなたとと もにありますように。アーメン。