父と子と聖霊の御名によって。アーメン。恵みあふれる神の平和が、皆さんとともにありますように。
主よ、あわれんでください。 キリストよ、あわれんでください。 主よ、あわれんでください。
今日の福音の中で、私たちは長い系図の名前を読み上げます。アブラハムから始まり、ダビデへ、そしてヨセフ、さらにはマリアへと続くその列は、一見すると単なる歴史の記録のように思えるかもしれません。しかし、その名前の一つひとつには、喜びもあれば悲しみもあり、予期せぬ出来事や、人間の計り知れない苦難が刻まれています。そしてその歴史の終わりに、マリアという一人の乙女の胎内に、神ご自身が宿るという神秘が起こりました。今日、私たちは聖母マリアの誕生を祝いますが、この祝日は単なる記念日ではありません。それは、神の計画が、どれほど小さく、どれほど弱く見える場所からでも、必ず花開くという希望の証しなのです。
第一朗読のミカ書には、「ベツレヘム・エフラタよ、お前はユダの氏族の中で小さすぎるが、お前からわたしのためにイスラエルを治める者が出る」とあります。神は、「小さすぎる」場所を選ばれます。人間の目には取るに足らないと思える場所、あるいは、あまりにも早く過ぎ去ってしまったように思える短い命の中にこそ、神はご自身の偉大な愛を隠しておられるのです。ベンジャミン・ヴォ君、私たちの愛するベン君の十五年という人生も、まさにこの「小さなベツレヘム」のような場所でした。彼は、数学や最新のテクノロジーという広大な世界を駆け巡る知性を持っていましたが、その魂の根底にあったのは、驚くほど静かで、柔らかな「優しさ」という種でした。
アランさん、タオさん。ベン君が旅立ってから二ヶ月が過ぎ、今もなお、胸を締め付けるような喪失感の中にいることでしょう。ふと彼の部屋のドアを通り過ぎるとき、あるいは彼が大好きだった飛行機のニュースを耳にするとき、言葉にできない孤独があなた方を襲うかもしれません。特に、彼がどれほど聡明で、将来を期待されていたかを思うとき、「なぜ」という問いが、心の中で渦巻くことがあるはずです。時には、自分自身を責める声が聞こえてくることもあるかもしれません。「もっと何かできたのではないか」「もっと早く気づいていれば」と。しかし、どうか今日、その重すぎる石を心から下ろしてください。ベン君の旅立ちは、あなた方の落ち度ではありません。病は、誰の罰でもなく、人間のいかなる注意や配慮をも超えたところで訪れる、この世の悲しい神秘の一部です。神様はあなた方を決して責めてはおられません。むしろ、ベン君という輝く魂を、十五年間、これ以上ないほどの深い慈しみで育み、彼が愛に満ちた人生を送れるよう支え続けたあなた方のその親としての手を、神様は誰よりも尊び、祝福しておられます。あなた方は、ベン君にとって最高の両親でした。
ベン君の心には、常に「差し出す」という美しい姿勢がありました。叔父様の病を聞いたとき、彼は自分の貯金箱を差し出そうとしました。実際にそれを壊す必要はなかったとしても、彼の心はすでに、自分の持っているすべてを愛のために捧げていたのです。それは、マリアが「お言葉どおり、この身に成りますように」と、自分の人生のすべてを神に差し出した姿と重なります。ベン君のその優しさは、今、カマウの地に建てられた「愛の井戸」となって、渇いた人々の喉を潤し続けています。目には見えないけれど、彼の愛は今もこの世界で流れ続け、多くの人の命を支えているのです。
お父様が夢で見た、あの緑色のショートパンツを履いた元気なベン君の姿を思い出してください。彼は「テストは全部パスしたよ」と語りかけてくれました。それは、彼がこの世のすべての試練を、神様の愛という大きな懐の中で見事に乗り越え、今や天国の宴の席で、聖母マリアや聖カルロ・アクティスとともに、あなた方を見守っているという確かなメッセージです。彼は、病の苦しみから完全に解き放たれ、大好きな空を自由に羽ばたいています。彼が夢見ていた「コン・チム航空」は、今や天国とこの地上を結ぶ、愛の架け橋となっているのです。
弟のライアン君。お兄ちゃんは今もあなたのすぐそばにいます。あなたがこれから歩んでいく人生のどんな時も、お兄ちゃんは天国から「ライアン、頑張れ」と優しい眼差しを向けています。あなたが笑い、幸せに生きること。それこそが、お兄ちゃんにとっての何よりの喜びです。お兄ちゃんが大好きだったあの空の向こうで、彼はあなたの成長を、誰よりも誇らしく見守っています。
画面を通してこの祈りを捧げているすべての皆さま。今、深い悲しみの中にいるご家族、そして病と闘っている子供たち。神様は、あなたの流す涙を一滴も無駄にされません。私たちの人生がどれほど未完成に思えても、神様はそこに新しい命の穂を実らせ、私たちを養ってくださいます。今日、この祈りを終えて日常に戻るとき、一つだけ心に留めてください。それは、自分の力で何とかしようと焦るのではなく、ただ神様の言葉に身を委ねてみるということです。ベン君という愛を胸に、もう一度、神様の愛という海に網を投げ入れてみてください。そこには必ず、あなたの想像を超える神様の慰めと愛が、豊かに満ちているはずです。
ベンジャミン・ヴォ君。あなたの美しい魂は、今、神様の無限の慈しみの中で安らぎの中にあります。あなたの遺した温かい愛の記憶は、私たちの心の中で決して消えることのない光として輝き続けます。どうか、あなたを愛してやまないご家族を、これからも優しく見守っていてください。平和の主が、アランさん、タオさん、ライアン君、そしてここに集うすべての人々に、深い癒やしと希望を注いでくださいますように。聖母マリアが、悲しみの中にあるすべての母たちの涙を拭い、その心に天国の平和を運んでくださいますように。アーメン。
For the intentions entrusted to Ben on our prayer wall:
At the Savior’s command and formed by divine teaching, we dare to say:
天におられるわたしたちの父よ、み名が聖とされますように。み国が来ますように。みこころが天に行われるとおり地にも行われますように。 わたしたちの日ごとの糧を今日もお与えください。わたしたちの罪をおゆるしください。わたしたちも人をゆるします。わたしたちを誘惑におちいらせず、悪からお救いください。アーメン。
主があなたを祝福し、守ってくださいますように。今も、そしてとこしえに。アーメン。
✝ 全能の神があなたを祝福し、父と、子と、聖霊の恵みがあなたとと もにありますように。アーメン。