父と子と聖霊のみ名によって。アーメン。私たちの歩みを常に優しい眼差しで見守ってくださる主イエス・キリストの恵みと平和が、皆さんとともにありますように。
主よ、深い哀しみの中にいる私たちを顧みてください。キリスト、私たちの涙をあなたの慈しみで拭ってください。主よ、私たちに天の開かれた希望をお与えください。
夏の終わりの強い日差しを避けるように、一本の木の陰に身を寄せる……。
葉擦れの音が静かに響くその場所で、私たちは何を考えているでしょうか。
今日の福音に登場するナタナエルもまた、そのような静けさの中にいました。主イエスが彼を指して「いちじくの木の下にいるときに見かけた」と言われたあの場所です。いちじくの木の下。それは当時のユダヤの人々にとって、単に涼を求める場所であるだけでなく、誰にも邪魔されずに聖書を読み、祈り、神と一対一で向き合う「静かな心の部屋」でした。そこは、人間の最も素直な思い、時には誰にも言えない葛藤や、乾いた叫びがそのまま神の前に差し出される場所だったのです。
イエス様は、ナタナエルがご自分のもとにやって来るより前に、すでに彼のその「隠された場所」での姿をご覧になっていました。だからこそ、ナタナエルが「どうして私を知っておられるのですか」と驚いたとき、主は彼の心の奥底にある純粋さ、偽りのなさをそのまま言い当てられたのです。「ここに見るからにイスラエル人がいる。この人には偽りがない」と……。
この「いちじくの木の下」という静かな場所は、今日、私たち一人ひとりの胸の中にもあります。とりわけ、愛する人を失い、言葉にならない重い沈黙を抱えて生きている人々の心の中に、その場所は存在します。
愛するベンジャミン・ヴォ君が、天の父のもとへと旅立たれてから、およそ二ヶ月が経ちました。
六月十三日から、今日、八月二十四日まで……。
残されたご家族にとって、この二ヶ月という月日は、時の流れが止まってしまったかのような、あるいはあまりにも冷酷に過ぎ去っていくような、言葉に尽くせない時間だったに違いありません。葬儀の慌ただしさが去り、周囲の生活が日常を取り戻していく中で、家の中に広がる静けさは、ますますその深さを増していきます。ベン君がいつも座っていた椅子、彼が使っていた勉強机、彼が触れていたお気に入りのものたち。それらが語りかけてくる無言のメッセージに、胸が締め付けられるような毎日を過ごしてこられたことでしょう。
お父様のアランさん、お母様のタオさん、そして弟のライアン君。この二ヶ月間、あなた方はまさに、あの「いちじくの木の下」で、一人静かに涙を流し、神に問いかけてこられたのではないでしょうか。
「なぜ、ベンだったのですか」
「なぜ、あんなに優しく、輝かしい未来のあった子が、これほど早く去らねばならなかったのですか」と……。
そして時に、その問いは鋭い刃となって、ご自分たちの心へと向けられたかもしれません。「もしあの時、別の病院に行っていれば」「もし私があの時、もっと違う選択をしていれば、何かを止められたのではないか」……。愛する我が子を守りたかった、ただその一心ゆえに生まれる、 misplaced guilt ――行き場のない自責の念が、夜の静寂の中で、お二人を苦しめてきたのではないかと、私の心は痛みます。
しかし、今日、主イエス・キリストの御言葉を通して、私はあなた方に、そして悲しみの淵にあるすべての人に、はっきりと、そして最も優しい愛を込めてお伝えしなければなりません。
かつて弟子たちが、生まれつき目の見えない人を見て「だれが罪を犯したのですか。本人ですか、両親ですか」と尋ねたとき、イエス様はきっぱりと答えられました。「本人が罪を犯したのでも、両親が罪を犯したのでもない」(ヨハネ9:3)。
アランさん、タオさん。ベン君の病も、その早すぎる旅立ちも、絶対に誰のせいでもありません。ご両親の愛が足りなかったからでもなく、何かを見落としたからでもありません。それは、人間のいかなる注意や、いかなる医学の力をもってしても、決して防ぐことのできなかった、この地上の深い苦しみの一部なのです。神様はあなた方を責めてはおられません。神様は決して、罰として愛する子どもに病を与えるような方ではないのです。
どうか、その胸の中にある「もしも」という重い石を、今日、主イエスのみもとに降ろしてください。あなた方は、ベン君の十五年の生涯に、人間として注ぎ得る限りの、最高の、そして最も美しい愛を注ぎ続けました。ベン君は、世界で一番幸せな男の子として、あなた方の腕の中で愛され、育まれたのです。その愛の記憶は、何ものによっても奪われることはありません。
イエス様は、ナタナエルに言われました。「わたしがいちじくの木の下にいるあなたを見たと言ったので、信じるのか。それ以上のことをあなたは見るようになる。はっきり言っておく。天が開け、神の天使たちが人の子の上に上り下りするのを、あなたがたは見ることになる」と。
「天が開ける」……。
この約束こそが、今日、私たちの「いちじくの木の下」に差し込む、まばゆい光です。私たちの悲しみの場所、涙の場所は、そのまま天へとつながる門となるのです。
そして今日、私たちは、その「開かれた天」を誰よりも愛し、憧れていた一人の少年の姿を思い起こしています。
ベンジャミン君――ベン君は、大空を飛ぶ飛行機や鳥が大好きでしたね。特にボーイング737旅客機に対する彼の情熱は、特別なものでした。空港に行っては、お父様と一緒に、大空へと舞い上がっていく機体を目を輝かせながら見つめていたあの時間。それは、ベン君にとって、地上と天がつながる瞬間を体験する、至福のひとときだったのでしょう。
ベン君は、いつか自分で「コン・チム航空(Con Chim Airlines)」という航空会社を作りたいと夢見ていました。「con chim ――鳥」という言葉を口にするとき、彼はいつもクスクスと嬉しそうに笑い、その顔いっぱいに輝くような笑顔を浮かべていました。彼にとって、空は単なる空間ではなく、自分の夢や、自由な知性や、どこまでも広がる好奇心が、翼を得て羽ばたく場所だったのです。
彼が夢見た「コン・チム航空」は、今や地上の重力や、病の苦しみ、肉体の制限をすべて超えて、本当に天の国で就航しています。十五歳という若さでこの世を去ったベン君ですが、彼は今、神様が用意された本物の「開かれた天」の中で、自由に、そして安らかに羽ばたいています。そこにはもう、彼を苦しめる息苦しさも、痛みもありません。彼は、聖母マリア様や、同じようにテクノロジーを愛し、若くして天に召された聖カルロ・アクティスとともに、天の祝宴の席で、あの懐かしい、誰もを幸せにする笑顔で微笑んでいます。
お父様が夢の中で見た、あのベン君の姿を思い出してください。「お父さん、テストはどれも全部パスしたよ。自分で普通に呼吸できるんだ……」と言って、お父様を抱きしめ、「大丈夫だよ、ぼくはパパとママを見守っているからね」と言ってくれたあの言葉。それは決して単なる夢ではありません。天国という「開かれた天」から、ベン君が本当にあなた方に届けた、真実のメッセージなのです。彼はテストをすべて終え、天国という永遠の安息の地に、胸を張って入っていきました。そして今も、大好きな家族を、その大きな翼で包み込むように見守っています。
弟のライアン君。
お兄ちゃんは、あなたのことを今も変わらず、心から愛しています。あなたが学校へ行くとき、勉強するとき、ふと空を見上げるとき、ベン君はいつもあなたのすぐそばにいます。あなたがこれから、お兄ちゃんの分まで、この地上で元気に、幸せに生きていくことこそが、天国のお兄ちゃんにとっての一番の喜びです。だから、寂しいときはいつでも空を見上げて、お兄ちゃんに話しかけてください。彼は必ず、風のささやきや、鳥の羽ばたきを通して、あなたに応えてくれます。
今日、第一朗読の黙示録は、きらびやかに輝く「聖なる都エルサレム」の姿を描いています。その都の城壁には十二の門があり、そこには十二の使徒の名が刻まれていました。今日私たちが記念する聖バルトロマイ(ナタナエル)の名も、その土台にしっかりと刻まれています。その都は「神の栄光によって輝いており、その輝きは、最高の宝石のよう」でした。
ベン君は今、その輝く都の住人です。そして、彼の地上での美しい生き方、叔父様が病気になったときに自分の貯金箱をすべて差し出そうとしたあの「偽りのない、純粋な愛」は、天の都の宝石のように、今も私たちの世界を照らし続けています。彼の名前でベトナムのカマウに作られた「愛の井戸(Giếng Gioan Baotixita)」から湧き出る清水のように、彼の愛は今も絶えることなく流れ、人々の渇きを癒やし、希望を与えているのです。
画面を通してこの祈りをともに捧げている、全国、そして世界中の皆さま。病床にある子どもたち、そして愛する人を失い、深い悲しみの十字架を背負っておられるすべてのご家族の皆さま。
神様は、私たちの流す涙を一つとしてお忘れになりません。私たちが「いちじくの木の下」でうつむいているとき、主はそっと隣に座り、「私はあなたを知っている。あなたの哀しみを見ている」と語りかけてくださいます。そして、私たちの目をご自身の「開かれた天」へと向けさせてくださるのです。
今日、この祈りを終えて日常の生活に戻るとき、一つの小さなことを心に留めて、持ち帰ってください。
今日、外に出て空を見上げるとき、あるいは窓から差し込む光を感じるとき、大空を飛ぶ鳥や、飛行機の白い雲の跡を探してみてください。そして、心の中で静かに、ベン君の名前を呼んでみてください。
そのとき、天は私たちに向かって開かれています。私たちの愛する人々は、決して失われたのではなく、その開かれた天の光の中で、私たちを待ってくれているのです。その確かな希望を胸に、今日の一歩を、互いに支え合いながら、一歩ずつ歩んでまいりましょう。
ベンジャミン・ヴォ君の優しい魂が、天の父のみもとで永遠の安息に包まれますように。そして、残されたご家族の歩みが、主の豊かな慰めと、聖母マリア様の母なる御保護によって、今日も明日も、常に照らされますように。
アーメン。
For the intentions entrusted to Ben on our prayer wall:
At the Savior’s command and formed by divine teaching, we dare to say:
天におられるわたしたちの父よ、み名が聖とされますように。み国が来ますように。みこころが天に行われるとおり地にも行われますように。 わたしたちの日ごとの糧を今日もお与えください。わたしたちの罪をおゆるしください。わたしたちも人をゆるします。わたしたちを誘惑におちいらせず、悪からお救いください。アーメン。
主が皆さんを祝福し、すべての災いから守り、永遠の命へと導いてくださいますように。天にいられるベンジャミン君の取り次ぎのもと、皆さんの歩みに神の豊かな平和がありますように。アーメン。
✝ 全能の神があなたを祝福し、父と、子と、聖霊の恵みがあなたとと もにありますように。アーメン。