父と子と聖霊のみ名によって。主イエス・キリストの恵み、神の愛、聖霊の交わりが皆さんとともにありますように。今日は、悲しみの中でも主の言葉を火のように心に灯し、ともに祈りを捧げましょう。
主よ、わたしたちをあわれんでください。 キリスト、わたしたちをあわれんでください。 主よ、わたしたちをあわれんでください。
誰もいない部屋、机の上に置かれた一冊の数学のノート。そこには、整然と並んだ数字と数式が残されています……。
それは、論理と秩序の世界です。答えは常に一つであり、正しい手順を踏めば、必ず真実にたどり着くことができる。そんな明快な世界に、私たちは時に深い安らぎを覚えます。愛するベンジャミン・ヴォ君――ベン君は、まさにこの「論理」と「知性」という素晴らしい賜物を与えられた少年でした。小学4年生にして中学2年生の数学を軽々と解き、14歳にしてAIやクラウド・インフラの複雑な構造を理解しようとしたその明晰な頭脳は、お父様であるアランさんの姿を映し出す鏡のようでした。彼にとって、世界を論理的に理解することは、神様が創られた宇宙の美しさを発見する喜びそのものだったのかもしれません。
しかし、今日の聖書は、私たちの「人間的な論理」が通用しない、もっと深い、もっと激しい「神様の論理」について語っています。
今日、私たちは「心の中に燃える火」という一つのイメージを、今日の聖書、そしてベン君の生涯と重ね合わせながら、静かに、そして深く見つめていきたいと思います。
第一朗読で、預言者エレミヤは叫びます。「主よ、あなたはわたしを惑わし、わたしは惑わされました。あなたはわたしを捕らえ、勝たれました」。エレミヤにとって、神の言葉に従うことは、周囲からの嘲笑と苦しみをもたらすものでした。彼は「もう神のことは口にしない、その名で語るまい」と決心します。それが、人間としての「論理的な」自己防衛でした。しかし、彼がそう決めた瞬間、彼の心の中で何かが起こります。「主の言葉はわたしの心の中で燃えさかる火となり、骨の中に閉じ込められて、押さえつけていようとしても、耐えられません」。
この「骨の中に閉じ込められた火」。それは、私たちの理解を超えて私たちを突き動かす、神様の愛の力です。
ベン君が天の父のもとへと旅立たれてから、およそ二ヶ月が経ちました。六月十三日から、今日という日まで……。
アランさん、タオさん、そしてライアン君。この二ヶ月という月日は、あなた方にとって、どのような時間だったでしょうか。それは、詩編の作者が歌うように、「水のない、乾ききった、命のない地」を歩むような、喉の渇きを覚える日々だったかもしれません。周囲の人々はそれぞれの日常に戻り、世界は何事もなかったかのように動いていく。それなのに、あなた方の心の中には、ベン君という輝く光を失ったことによる、埋めることのできない巨大な空白が広がっています。朝、目が覚めた瞬間に襲ってくる「彼はもういない」という現実。それは、どんな論理的な説明も受け付けない、剥き出しの痛みです。
私たちは、その痛みを急いで消そうとする必要はありません。まず、その「渇き」を認めましょう。愛する人を失ったとき、私たちの魂が神を求めて叫ぶのは、それほどまでに深く、ベン君を愛していたからです。
今日の福音書で、ペトロもまた、人間的な論理の中にいました。イエス様が「私は苦しみを受け、殺され、三日目に復活しなければならない」と告げたとき、ペトロはイエス様を脇へ連れて行き、いさめ始めました。「主よ、とんでもないことです。そんなことがあってはなりません」。
ペトロの言葉は、愛ゆえの言葉でした。大切な師を失いたくない、苦しんでほしくない。それは人間として当然の、最も「論理的な」願いです。しかし、イエス様は厳しく答えられます。「サタン、引き下がれ。あなたは神のことを考えず、人間のことを考えている」。
ここでイエス様が教えておられるのは、この世の論理――すなわち、命を惜しみ、苦しみを避け、成功を求める論理――ではなく、神様の論理、すなわち「自分を捨て、十字架を背負い、愛のために命を捧げる」という論理です。「自分の命を救おうと思う者はそれを失い、わたしのゆえに命を失う者は、それを見出すのである」。
ベン君の十五年という生涯を、この「神様の論理」という光で照らしてみましょう。
ベン君は、非常に論理的で知的な少年でしたが、彼の本当の美しさは、その知性を超えた「優しい心」にありました。彼が十二歳のとき、お父様の四十歳の誕生日に、いつかお父様を失うかもしれないという予感に涙したあの心。それは、計算高い大人には持ち得ない、純粋な愛の火が骨の中に燃えていた証しです。
そして、叔父のウィリアムさんが倒れたとき、自分から進んで「僕の貯金箱にあるお金を全部あげるよ」と申し出たあの瞬間。ビジネスの論理や経済の論理からすれば、子供の貯金箱で何ができるのか、と笑う人がいるかもしれません。しかし、神様の目から見れば、それこそが「自分の体を神に喜ばれる聖なる生きた生け贄として献げる」(ローマ12:1)という、最高の霊的な礼拝でした。彼は自分の持っているすべてを、愛のために差し出そうとしたのです。その申し出は、実際に貯金箱が割られることはなかったとしても、天国では最も価値のある宝物として受け取られました。
アランさん、タオさん。この二ヶ月間、あなた方は何度も、あの「なぜ」という問いに、ご自身を責める声が混じるのを感じてこられたのではないでしょうか。「もっと早く気づいてあげられたら」「あの時、違う選択をしていれば」……。愛する我が子を守りたかったというその深い愛ゆえに、自分たちの無力さを責め、misplaced guilt(場違いな罪悪感)の重荷に押し潰されそうになる夜があったかもしれません。
今日、主イエスは、その暗闇の中でうつむくあなた方の傍らにそっと座り、傷ついた肩を抱き寄せながら、はっきりと語りかけておられます。
かつて弟子たちが、苦しむ人を見て「だれが罪を犯したのですか。本人ですか、両親ですか」と尋ねたとき、イエス様はきっぱりと答えられました。「本人が罪を犯したのでも、両親が罪を犯したのでもない。神の業が彼に現れるためである」(ヨハネ9:3)。
アランさん、タオさん。ベン君の病も、その旅立ちも、絶対に、誰のせいでもありません。あなた方の愛が足りなかったからでも、何かを見落としたからでもありません。それは、人間のいかなる注意や、いかなる医学の限界をも超えた、この地上の深い神秘の一部なのです。神様はあなた方を決して責めてはおられません。むしろ、ベン君という清い魂を、十五年間、これ以上ないほどの深い慈しみで包み込み、彼の「心の中の火」を大切に育て上げたあなた方のその「親としての手」を、神様は誰よりも尊び、祝福しておられます。どうか、ご自分を責めるのを、今日、おやめください。あなた方は、最高の親でした。ベン君は、世界で一番幸せな息子として、あなた方の愛を全身に浴びて育ったのです。
ベン君は今、天国の「祝宴」の席にいます。お父様の夢の中で、彼は「パパ、テストはどれも全部パスしたよ。自分で普通に呼吸できるんだ」と語りかけてくれました。その夢の中で、彼はもはや「助けられる子供」ではなく、お父様を支え、安心させる「強い存在」として現れました。彼は、この地上のあらゆる「テスト」――知性のテストも、愛のテストも、そして苦しみのテストも――すべてを、神様の恵みによってパスしたのです。彼は今、大好きな飛行機、あの「コン・チム航空(小鳥航空)」のように自由に、何の苦しみもなく、神様の無限の愛という大空を羽ばたいています。
ベン君のミドルネーム、Đại Dương(ダイ・ズオン)は「大海原」を意味します。彼の命は、今、神様の慈しみという果てしない大海原の中に溶け込み、そこから絶え間なく、私たちに愛の波を送り続けています。ベトナムのカマウに建てられた「愛の井戸」から湧き出る水は、ベン君の骨の中にあったあの「火」が、形を変えて、渇いた人々を潤す「生きた水」となった姿です。
弟のライアン君。
お兄ちゃんは、あなたのことを今も、誰よりも誇りに思っています。一緒に世界中を旅したとき、隣で笑っていたお兄ちゃんは、今もあなたのすぐそばにいます。あなたがこれから成長していくその一歩一歩を、お兄ちゃんは天国から、「ライアン、頑張れ」と応援しています。あなたが幸せに生きること、それがお兄ちゃんにとって一番の喜びです。寂しいときは、心の中で、お兄ちゃんのあのクスクスという笑い声を思い出してごらん。お兄ちゃんは、あなたの笑顔の中に生きているんだよ。
画面を通してこの祈りをともに捧げている、世界中の皆さま。病床で闘っている子供たち、そして愛する人を失い、暗闇の中にいるすべてのご家族の皆さま。
神様は、私たちの流す涙を一滴も無駄にされません。聖パウロが言うように、「この世に同調せず、心を改めて、自分を変えていただきなさい」。この世の論理では、死は終わりであり、敗北です。しかし、神様の論理では、愛のために生き、愛のために命を捧げることは、永遠の勝利への道です。ベン君の人生は、その「神様の論理」がどれほど美しく、力強いものであるかを、私たちに教えてくれました。
今日、この祈りの集いを終えて、皆さんがそれぞれの生活に戻るとき、一つの小さなことを持ち帰ってください。
それは、今日、自分の思い通りにいかないことや、理解できない苦しみに直面したとき、それを「人間の論理」だけで裁くのではなく、「神様の愛の論理」で受け止めてみる、ということです。ベン君が叔父様のために貯金箱を差し出そうとしたあの瞬間の、損得勘定のない純粋な思いを、あなたも誰かに向けてみてください。
ベンジャミン・ヴォ君。あなたの美しい魂は、今、神様の無限の慈しみの中で輝いています。あなたの遺した温かい「火」を、私たちは決して消しません。天国から、どうか私たちを、そして大好きなご家族を、これからも優しく見守ってください。
平和の主ご自身が、アランさん、タオさん、ライアン君、そして今日祈りを合わせるすべての人々の上に、常に、豊かな平和を注いでくださいますように。
アーメン。
For the intentions entrusted to Ben on our prayer wall:
At the Savior’s command and formed by divine teaching, we dare to say:
天におられるわたしたちの父よ、み名が聖とされますように。み国が来ますように。みこころが天に行われるとおり地にも行われますように。 わたしたちの日ごとの糧を今日もお与えください。わたしたちの罪をおゆるしください。わたしたちも人をゆるします。わたしたちを誘惑におちいらせず、悪からお救いください。アーメン。
主が皆さんを祝福し、守ってくださいますように。主がみ顔を向けて皆さんに臨み、平安を与えてくださいますように。父と子と聖霊のみ名によって。アーメン。
✝ 全能の神があなたを祝福し、父と、子と、聖霊の恵みがあなたとと もにありますように。アーメン。