父と子と聖霊のみ名によって。アーメン。主イエス・キリストの恵み、神の愛、聖霊の交わりが皆さんとともにありますように。今日は、神の慈しみと心の誠実さを求める祈りの集いです。
主よ、わたしたちの心の揺れ動きをあわれんでください。 キリストよ、わたしたちを永遠の励ましで強めてください。 主よ、わたしたちの心を清め、平和を与えてください。
棚の上に置かれた、一つの貯金箱を思い浮かべてみてください……。
それは、どこにでもあるような、小さな、静かな存在です。外側から見れば、ただの箱に過ぎません。中にどれほどの重みがあるのか、振ってみなければ分からない。けれど、その箱の本当の価値は、中に入っている金額にあるのではなく、それを満たそうとした「心」のありかたにあります。
今日は、この「内側の重み」ということを、皆さんとともに深く見つめていきたいと思います。
愛するベンジャミン・ヴォ君が、天の父のもとへと旅立たれてから、今日でちょうど二ヶ月が経ちました。六月十三日から、八月十三日を過ぎ、今日という日を迎えています。
二ヶ月……。それは、最初の衝撃が静かな痛みに変わり、日常のあちこちに空いた穴が、より鮮明に、より深く感じられるようになる時期かもしれません。葬儀の喧騒は遠のき、周囲の人々はそれぞれの生活に戻っていく。けれど、アランさん、タオさん、そしてライアン君、あなた方の家の中には、ベン君がいたはずの場所が、以前よりもいっそう静かに、そして重く存在しているのではないでしょうか。
今日の第一朗読で、聖パウロはテサロニケの信徒たちにこう語りかけています。「主イエス・キリストが来られることと、わたしたちが主のみもとに集められることについて、兄弟たちよ、お願いしたい。霊や言葉、あるいはわたしたちから出たかのような手紙によって、主の日は既に来てしまったかのように思い、すぐに動揺したり、慌てたりしないでください」。
「すぐに動揺したり、慌てたりしないでください」。この言葉は、今、深い悲しみの中にいるご家族の心に、どのように響くでしょうか。大切な人を失ったとき、私たちの心は激しく揺さぶられます。まるで足元の地面が崩れ去ったかのような不安、未来が閉ざされたかのような絶望。パウロが言う「動揺」とは、単なる心の乱れではなく、魂の土台が揺らぐような経験です。しかしパウロは、その揺らぎの中でこそ「しっかり立ちなさい」と励まします。それは、自分の力で踏ん張れということではなく、神様が与えてくださる「永遠の励ましと輝かしい希望」に身を委ねなさい、ということなのです。
そして、今日の福音へと目を向けてみましょう。イエス様は、当時の宗教指導者たちに対して、非常に厳しい言葉を投げかけられます。「あなたたちは、ミント、イノンド、クミンの十分の一は献げるが、律法の中で最も重要な慈しみ、憐れみ、信仰をないがしろにしている」。
イエス様がここで問題にされているのは、「外側」と「内側」の不一致です。彼らは、目に見える細かい決まりごとは完璧に守っていました。しかし、その内側にあるはずの「愛」が欠落していたのです。イエス様は言われます。「杯や皿の外側はきれいにするが、内側は強欲と放縦で満ちている。……まず杯の内側をきれいにしなさい。そうすれば、外側もきれいになる」。
この「杯の内側」というイメージを、今日、私たちはベン君の人生と重ね合わせてみることができます。
ベンジャミン・ヴォという一人の少年の「外側」は、実に輝かしいものでした。数学の天才的な才能、AIやクラウド技術を大人顔負けに理解する明晰な頭脳、バドミントンのコートで見せた粘り強い努力。それらは誰の目にも明らかな、素晴らしい果実でした。しかし、ベン君が本当に「特別な存在」であった理由は、その輝かしい才能という「外側の飾り」にあったのではありません。彼の本当の美しさは、その「内側」に、神様が喜ばれる「慈しみ、憐れみ、信仰」が満ちあふれていたことにありました。
ここで、先ほどお話しした「貯金箱」のエピソードを思い出してください。
ベン君が十五歳のとき、叔父のウィリアムさんが病に倒れたと聞いたときのことです。ベン君は、自分から進んでお父様とお母様に言いました。「僕の貯金箱を全部あげるよ。叔父さんの助けになるなら、これを使って」と。結局、その貯金箱が壊されることはありませんでした。叔父様には保険があり、そのお金が必要になることはなかったからです。しかし、大切なのは、その箱が実際に開けられたかどうかではありません。その箱の中に、自分の持っているすべてを差し出そうとした、あの純粋で、無欲な、深い「憐れみ」の心が詰まっていたという事実です。
イエス様が言われた「杯の内側を清めなさい」という教えを、ベン君は、教えとして学ぶ前に、その生き方で実践していました。彼は、自分の才能や知識を誇るためではなく、誰かを愛し、誰かを守るためにその心を使っていました。お父様の四十歳の誕生日に、いつかお父様を失うことを想像して涙を流した十二歳の少年の心……。そこには、計算も偽りもない、純粋な「愛」という内実があったのです。
アランさん、タオさん。この二ヶ月間、あなた方は何度も「なぜ」と問いかけてこられたことでしょう。「なぜ、あんなに内側の美しい子が、これほど早く去らねばならなかったのか」と。
そして、その問いは時に、自分たち自身を責める刃となったかもしれません。「もっと早く気づいていれば」「あの時、こうしていれば」……。愛する我が子を守りたかったというその深い愛ゆえに、自分たちの無力さを責め、取り返しのつかない後悔の念に押し潰されそうになる夜があったのではないでしょうか。
しかし、今日、主イエスはあなた方に寄り添い、優しく語りかけておられます。かつて弟子たちが、苦しむ人を見て「だれが罪を犯したのですか」と尋ねたとき、イエス様は「本人が罪を犯したのでも、両親が罪を犯したのでもない」とはっきり答えられました。ベン君の病も、その旅立ちも、決して誰のせいでもありません。それは、人間の注意や努力、あるいは医学の限界をはるかに超えた、この地上の深い神秘の一部なのです。神様はあなた方を決して責めてはおられません。むしろ、ベン君という「内側の清い杯」を、十五年間、最高の愛で満たし続けたあなた方の手の温もりを、神様は誰よりもよくご存じです。
ベン君は、お父様の夢の中に現れてくれましたね。緑色のショートパンツを履いて、健康そうな姿で、「お父さん、テストはどれも全部パスしたよ。自分で普通に呼吸できるんだ」と微笑んでくれたあの姿。それは、天国という場所が、もはや「外側の制限」――病や痛み、肉体の苦しみ――から完全に解放された場所であることを教えてくれています。彼の「内側の美しさ」が、今や天の光を受けて、そのまま「外側の輝き」として現れているのです。
ベン君が夢見ていた「コン・チム航空(小鳥航空)」。その名前を口にするとき、彼はいつもクスクスと笑い、幸せそうでした。その「小鳥」は今、地上の重力を離れ、神様の慈しみという大空を自由に羽ばたいています。彼はもう、息苦しさを感じることも、病室の壁に閉じ込められることもありません。彼は、聖母マリア様や聖カルロ・アクティスとともに、天の祝宴の席で、あの「内側から溢れ出す笑顔」を輝かせています。
ライアン君。お兄ちゃんは、あなたの心の中に、とても大切な「貯金箱」を残してくれました。それはお金ではなく、彼があなたに見せてくれた「優しさ」や「勇気」、そして「挑戦することの大切さ」という宝物です。あなたがこれから生きていく中で、ふとした瞬間に、お兄ちゃんのあの笑顔が心に浮かぶとき、それはお兄ちゃんがあなたの「内側の杯」を愛で満たしてくれている合図です。あなたは一人ではありません。お兄ちゃんは、天国からあなたという「最高の親友」を、ずっと見守り続けています。
画面を通して祈りを合わせている皆さん。病と闘っているお子さんたち、そして愛する人を失い、心の杯が空っぽになってしまったと感じているすべてのご家族の皆さん。
神様は、私たちの空っぽになった杯を、ご自身の「永遠の励まし」で満たしてくださいます。パウロが言うように、神様は「わたしたちを愛し、恵みによって永遠の励ましと輝かしい希望を与えてくださった」方です。私たちの悲しみが消えることはなくても、その悲しみの「内側」に、神様の愛が静かに注がれ、私たちを支える力となります。
今日、この祈りの集いを終えて、皆さんがそれぞれの生活に戻るとき、一つの小さなことを持ち帰ってください。
それは、自分の周りにいる人の「外側」の結果や成果だけを見るのではなく、その「内側」にある小さな善意や、一生懸命な思いに目を向ける、ということです。ベン君が叔父様のために差し出そうとした、あの「使われなかった貯金箱」のように、目には見えなくても、そこにある「愛」を大切にすることです。
誰かに優しい言葉をかける。誰かのために静かに祈る。その小さな「内側の清さ」こそが、ベン君が愛したこの世界を、少しずつ明るく照らしていく光となります。
ベンジャミン・ヴォ君。あなたの清い魂は、今、神様の御手の中で安らかに憩っています。あなたの遺した愛の井戸から湧き出る水のように、あなたの思い出は、これからも多くの人々の心を潤し、希望を与え続けるでしょう。
主イエス・キリストの平和が、アランさん、タオさん、ライアン君、そして今日祈りを共にするすべての人々の上に、豊かにありますように。
アーメン。
For the intentions entrusted to Ben on our prayer wall:
At the Savior’s command and formed by divine teaching, we dare to say:
天におられるわたしたちの父よ、み名が聖とされますように。み国が来ますように。みこころが天に行われるとおり地にも行われますように。 わたしたちの日ごとの糧を今日もお与えください。わたしたちの罪をおゆるしください。わたしたちも人をゆるします。わたしたちを誘惑におちいらせず、悪からお救いください。アーメン。
主が皆さんを祝福し、その慈しみで包んでくださいますように。ベン君の魂と、すべての亡くなった方々が、神の憐れみによって安らかに憩うことができますように。父と子と聖霊のみ名によって。アーメン。
✝ 全能の神があなたを祝福し、父と、子と、聖霊の恵みがあなたとと もにありますように。アーメン。