父と子と聖霊の御名によって。主イエス・キリストの恵みと平和が、皆さんとともにありますように。
主よ、憐れんでください。 キリストよ、憐れんでください。 主よ、憐れんでください。
ガリラヤの町、ある安息日の午後の光景を思い浮かべてみてください。人々のざわめき、律法学者たちの厳しい視線、そして、その場に立ち尽くす一人の男。彼の右の手は萎えていました。それは、彼が自分の力で何かを掴むことも、誰かを抱きしめることも、あるいは自分の人生を思うように動かすこともできないという、痛々しい現実の象徴でした。イエス様は、その男を見つめ、ただ一言、「立ち上がり、真ん中に立ちなさい」と言われました。今日、私たちはこの「萎えた手」というイメージを携えて、愛するベンジャミン・ヴォ君の人生と、私たちの心にある拭いきれない痛みについて、静かに分かち合いたいと思います。
ベン君が天の父のもとへと旅立ってから、二ヶ月が過ぎました。アランさん、タオさん、そしてライアン君。あなた方の心の中には、今もなお、ベン君の温もりを求める深い渇きがあることでしょう。朝の光の中で、あるいは夜の静寂の中で、彼がそこにいないという事実が、まるで鋭い棘のように胸を刺すことがあるかもしれません。ふと、彼がコーディングに没頭していた背中や、家族で旅先で空を見上げていたあの横顔を思い出すとき、その喪失感は言葉にならない重さとなってあなた方を襲うはずです。アランさん、タオさん。あなた方の心には、時折、「なぜ、あんなにも聡明で、あんなにも優しい魂が、これほど早く旅立たなければならなかったのか」という問いが、答えのないまま渦巻いているのではないでしょうか。時には、自分自身を責める声が聞こえてくることもあるでしょう。「もっと早く気づいていれば」「もっと何かできたのではないか」と。その罪悪感は、あなた方がベン君をどれほど深く愛していたかの、痛ましいほどの証しです。しかし、どうか聞いてください。ベン君の旅立ちは、あなた方のせいではありません。病は、誰の罰でもなく、人間のいかなる注意や配慮をも超えたところで訪れる、この世の悲しい神秘の一部です。神様はあなた方を決して責めてはおられません。むしろ、ベン君という輝く魂を、十五年間、これ以上ないほどの深い慈しみで育み、彼が愛に満ちた人生を送れるよう支え続けたあなた方のその親としての手を、神様は誰よりも尊び、祝福しておられます。どうか、今日、その重すぎる荷物を、主の御前に静かに下ろしてください。あなた方は、ベン君にとって最高の両親でした。
今日の福音の中で、イエス様は萎えた手を持つ男に「手を伸ばせ」と言われました。男がその通りにすると、手は元通りになりました。この奇跡は、単なる身体的な回復以上の意味を持っています。それは、神様が私たちに「失われたもの」を回復し、再び命を生きる力を与えてくださることを示しています。ベン君の人生は、短かったかもしれませんが、決して「萎えたもの」ではありませんでした。彼は、十五年という時間の中で、驚くほどの知性と、それ以上に深い愛の花を咲かせました。数学の難問を解き、AIやクラウド技術という未来の知に触れ、大好きな飛行機とともに世界を旅した彼の好奇心。しかし、何よりも彼を形作っていたのは、その「優しい心」です。叔父様のために自分の貯金箱を差し出そうとした、あの純粋な申し出を覚えていますか。実際に貯金箱が割られることはなかったとしても、その「差し出す」という心こそが、神様の目には何よりも美しい捧げものとして映ったのです。彼は、自分の持っているすべてを、愛のために差し出せる少年でした。その優しさは、彼がこの世を去った後も、カマウに建てられた「愛の井戸」となって、今も渇いた人々の喉を潤し続けています。彼の愛は、死という境界線を越えて、今もなお形を変えて、この世界で生き続けているのです。
第一朗読で、聖パウロはコリントの教会に対して、古い酵母を捨て、新しいパンとなるよう呼びかけています。私たちもまた、悲しみという古い酵母、つまり「なぜ」という問いや「もしも」という後悔に縛られがちです。しかし、パウロは「わたしたちの過越の小羊であるキリストは、犠牲として屠られたのです」と語ります。キリストの死と復活こそが、私たちの悲しみの意味を変えます。ベン君は今、その過越の小羊のそばにいます。お父様が夢で見たあの光景を思い出してください。ベン君が「パパ、テストは全部パスしたよ」と語りかけてくれたあの瞬間。それは、彼がこの世のすべての試練を、神様の愛という革袋の中で見事に乗り越えたことを示しています。彼は今、病の苦しみや制限から完全に解き放たれ、大好きなボーイング737の翼に乗って、天国の無限の空を自由に羽ばたいています。彼は、同じく十五歳で天に召された聖カルロ・アクティスとともに、天国の宴の席で、あの純粋な笑顔を浮かべて、あなた方を見守っています。彼は、あなた方が悲しみの淵に沈むとき、その萎えた心を優しく包み込み、「パパ、ママ、大丈夫だよ」と、天国から語りかけているのです。
弟のライアン君。お兄ちゃんは、今もあなたのすぐそばにいます。あなたがこれから歩んでいく人生のどんな時も、お兄ちゃんは天国から「ライアン、頑張れ」と優しい眼差しを向けています。あなたが笑い、幸せに生きること。それこそが、お兄ちゃんにとっての何よりの喜びです。お兄ちゃんが大好きだったあの「コン・チム航空」のように、夢を大きく広げて、自分の道を歩んでいってください。お兄ちゃんは、あなたの心の中に、今も生き続けています。たとえ、お兄ちゃんがいなくて寂しい夜があっても、その寂しさの中に、お兄ちゃんの愛が確かに存在していることを信じてください。
画面を通してこの祈りを捧げているすべての皆さま。今、深い悲しみの中にいるご家族、そして病と闘っている子供たち。神様は、あなたの流す涙を一滴も無駄にされません。私たちの人生がどれほど未完成に思えても、神様はそこに新しい命の穂を実らせ、私たちを養ってくださいます。今日、この祈りを終えて日常に戻るとき、一つだけ心に留めてください。それは、自分の力で何とかしようと焦るのではなく、ただ神様の言葉に身を委ねてみるということです。ベン君という愛を胸に、もう一度、神様の愛という海に網を投げ入れてみてください。そこには必ず、あなたの想像を超える神様の慰めと愛が、豊かに満ちているはずです。萎えた手を伸ばすとき、そこには必ずイエス様が触れてくださいます。そのぬくもりを感じてください。あなたは、決して一人ではありません。神様は、あなたを愛し、あなたのすべての痛みを、ご自身の過越の神秘の中に受け入れてくださっています。ベンジャミン・ヴォ君。あなたの美しい魂は、今、神様の無限の慈しみの中で安らぎの中にあります。あなたの遺した温かい愛の記憶は、私たちの心の中で決して消えることのない光として輝き続けます。どうか、あなたを愛してやまないご家族を、これからも優しく見守っていてください。平和の主が、アランさん、タオさん、ライアン君、そしてここに集うすべての人々に、深い癒やしと希望を注いでくださいますように。アーメン。
For the intentions entrusted to Ben on our prayer wall:
At the Savior’s command and formed by divine teaching, we dare to say:
天におられるわたしたちの父よ、み名が聖とされますように。み国が来ますように。みこころが天に行われるとおり地にも行われますように。 わたしたちの日ごとの糧を今日もお与えください。わたしたちの罪をおゆるしください。わたしたちも人をゆるします。わたしたちを誘惑におちいらせず、悪からお救いください。アーメン。
主の平和がいつも皆さんとともにありますように。全能の神、父と子と聖霊が、皆さんとご家族を祝福し、守ってくださいますように。
✝ 全能の神があなたを祝福し、父と、子と、聖霊の恵みがあなたとと もにありますように。アーメン。