父と子と聖霊の御名によって。主イエス・キリストの恵みと平和が、皆さんとともにありますように。
主よ、憐れんでください。 キリストよ、憐れんでください。 主よ、憐れんでください。
ガリラヤ湖の湖畔、朝霧がまだ水面を漂う静かな夜明けを想像してみてください。網を洗い、一晩の骨折りを終えた漁師たちの背中には、言葉にできない疲労が滲んでいます。彼らは専門家であり、海を知り尽くした男たちでした。しかし、その夜、彼らは何も手にすることができませんでした。空っぽの網、沈黙する湖、そしてただ過ぎ去った時間だけが彼らの手元に残されていました。
今日、私たちはこの「空っぽの網」というイメージを胸に抱きながら、聖グレゴリオ教皇の記念日にあたり、愛するベンジャミン・ヴォ君――ベン君の生涯と、神様の計り知れない愛について、静かに分かち合いたいと思います。ベン君が天の父のもとへと旅立たれてから、二ヶ月という月日が流れました。
第一朗読で、聖パウロはコリントの信徒たちに、世の知恵を捨てるよう呼びかけています。「もし、あなたがたのうちに、自分はこの世で知恵のある者だと考えている人がいれば、知恵のある者となるために愚か者になりなさい」。世の知恵は、結果や目に見える成功を求めます。しかし、神の知恵は違います。神の知恵は、空っぽの網を前にしたとき、それでもなお「あなたの言葉に従って」と、もう一度網を投げ入れる勇気の中にあります。
アランさん、タオさん、そしてライアン君。この二ヶ月間、あなた方の心にも、まるで一晩中働いて何も得られなかった漁師たちのような、深い「空っぽ」が広がっているのではないでしょうか。ベン君の部屋の静けさ、彼が愛した飛行機の模型、そして彼が残した数々の温かい記憶。それらは愛の証しであると同時に、彼がいないという現実を突きつける、胸を締め付けられるような空白でもあります。世間は平然と回り続け、誰もが日常を歩んでいく中で、あなた方だけが、その空っぽの網を抱えて立ち尽くしているかのように感じられる夜があるかもしれません。
「なぜ、ベン君のような聡明で優しい少年が、これほど早く旅立たなければならなかったのか」。その問いは、答えのないまま、夜の静けさの中で何度も繰り返されることでしょう。時には、ご自身を責める声が聞こえてくるかもしれません。「もっと早く気づいていれば」「もっと何かできたのではないか」と。アランさん、タオさん、その罪悪感は、あなた方がどれほど深くベン君を愛し、守ろうとしていたかの裏返しです。しかし、今日、主イエスは空っぽの網を抱えるあなた方の隣に座り、こう告げておられます。「 neither this man nor his parents(本人が罪を犯したのでも、両親が罪を犯したのでもない)」。ベン君の病も、その旅立ちも、あなた方の責任ではありません。神様はあなた方を決して責めてはおられません。むしろ、十五年間、ベン君という輝く魂を、これ以上ないほどの深い慈しみで育み、彼が愛に満ちた人生を送れるよう支え続けたあなた方のその「親としての手」を、神様は誰よりも尊び、祝福しておられます。
ベン君という少年は、まさに神様からの贈り物でした。数学の難問に挑み、AIやクラウド技術といった現代の知の最先端を駆け抜けた彼の明晰な頭脳。しかし、それを超えて、彼の心には常に「優しい火」が灯っていました。叔父様のために自分の貯金箱を差し出そうとした、あの純粋な申し出を思い出してください。実際に貯金箱が割られることはなかったとしても、その「差し出す」という心こそが、神様の目には何よりも美しい捧げものとして映ったのです。彼は、自分の持っているすべてを、愛のために差し出せる少年でした。
福音書の中で、シモン・ペトロはイエス様の言葉に従い、網を投げ入れました。その結果、網は破れるほどの魚で満たされました。この奇跡は、彼らの努力の結果ではありませんでした。彼らが「自分の知恵」を捨て、「主の言葉」を信頼したときに起きた、神様の恵みの溢れ出しでした。ベン君もまた、十五年という短い人生の中で、神様の恵みを全身に受けて生きました。彼が世界中を旅し、大好きな飛行機を眺め、家族と分かち合った喜び。その一つひとつが、神様から与えられた「満ち溢れる網」でした。
お父様がご覧になったあの夢の中で、ベン君は「パパ、テストは全部パスしたよ」と語りかけてくれましたね。その言葉は、彼がこの世のすべての試練を、神様の愛という網の中で見事に乗り越えたことを示しています。彼は今、病の苦しみや制限から完全に解き放たれ、大好きな飛行機が雲を突き抜けて青空へ向かうように、神様の無限の愛という大空を自由に羽ばたいています。聖カルロ・アクティスとともに、天国の宴の席で、あの braces(矯正器具)のついた純粋な笑顔を浮かべて、あなた方を見守っています。
ベトナムのカマウに建てられた「愛の井戸」から湧き出る水は、ベン君の愛が、今もなお形を変えて、渇いた人々の喉を潤している証しです。彼の人生は終わったのではありません。今も、神様の恵みの中で、新しい命のページを刻み続けているのです。
弟のライアン君。お兄ちゃんは、今もあなたのすぐそばにいます。あなたがこれから歩んでいく人生のどんな時も、お兄ちゃんは天国から「ライアン、頑張れ」と優しい眼差しを向けています。あなたが笑い、幸せに生きること。それこそが、お兄ちゃんにとっての何よりの喜びです。お兄ちゃんが大好きだったあの「コン・チム航空」のように、夢を大きく広げて、自分の道を歩んでいってください。
画面を通してこの祈りを捧げているすべての皆さま。今、深い悲しみの中にいるご家族、そして病と闘っている子供たち。神様は、あなたの流す涙を一滴も無駄にされません。私たちの網が空っぽに見えるときこそ、神様の恵みが注ぎ込まれる準備ができているときなのです。パウロが言うように、「すべてはあなた方のものです。そして、あなた方はキリストのもの、キリストは神のものなのです」。
今日、この祈りを終えて日常に戻るとき、一つだけ心に留めてください。それは、自分の力で何とかしようと焦るのではなく、ただ神様の言葉に身を委ねてみるということです。空っぽの網を抱えたまま、もう一度、神様の愛という海に網を投げ入れてみてください。そこには必ず、あなたの想像を超える神様の慰めと愛が、豊かに満ちているはずです。
ベンジャミン・ヴォ君。あなたの美しい魂は、今、神様の無限の慈しみの中で安らぎの中にあります。あなたの遺した温かい愛の記憶は、私たちの心の中で決して消えることのない光として輝き続けます。どうか、あなたを愛してやまないご家族を、これからも優しく見守っていてください。
平和の主が、アランさん、タオさん、ライアン君、そしてここに集うすべての人々に、深い癒やしと希望を注いでくださいますように。アーメン。
For the intentions entrusted to Ben on our prayer wall:
At the Savior’s command and formed by divine teaching, we dare to say:
天におられるわたしたちの父よ、み名が聖とされますように。み国が来ますように。みこころが天に行われるとおり地にも行われますように。 わたしたちの日ごとの糧を今日もお与えください。わたしたちの罪をおゆるしください。わたしたちも人をゆるします。わたしたちを誘惑におちいらせず、悪からお救いください。アーメン。
主の平和がいつも皆さんとともにありますように。全能の神、父と子と聖霊の祝福が、皆さんの上にありますように。アーメン。
✝ 全能の神があなたを祝福し、父と、子と、聖霊の恵みがあなたとと もにありますように。アーメン。