父と子と聖霊の御名によって、アーメン。主イエス・キリストの恵み、神の愛、聖霊の交わりが、皆さんとともにありますように。今日、私たちは聖アウグスチノの生涯を記念しながら、神の知恵と愛の光を求めて、静かに祈りを捧げましょう。
主よ、憐れみたまえ。 キリスト、憐れみたまえ。 主よ、憐れみたまえ。
棚の上に置かれた、小さな、一度も開けられることのなかった貯金箱を思い浮かべてみてください……。
それは、どこにでもあるような、何の変哲もないプラスチックや陶器の箱かもしれません。外側から見れば、ただそこにあるだけの置物です。大人の目から見れば、その中に入っている小銭の額など、社会の大きな仕組みや、高額な医療費の前には、微々たるもの、取るに足らないものに見えるでしょう。効率や実用性を重んじるこの世界の「知恵」は、そんな小さな箱に大した価値を見出しません。
しかし、その箱の本当の価値は、中に入っている金額にあるのではなく、それを丸ごと差し出そうとした「心」の重みにあります。そこには、この世界の計算高さをはるかに超えた、純粋で、計り知れないほど豊かな愛が詰まっているのです。
今日、私たちはこの「器の中に蓄えられた、目に見えない油」というイメージを、聖書が語る真の知恵、そして愛するベンジャミン・ヴォ君――ベン君の生涯と重ね合わせながら、静かに見つめていきたいと思います。
愛するベン君が、天の父のもとへと旅立たれてから、今日でおよそ二ヶ月が経ちました。六月十三日から、今日という日まで……。
アランさん、タオさん、そしてライアン君。この二ヶ月という月日は、あなた方にとって、どのような時間だったでしょうか。最初の、あの現実とは思えないほどの衝撃と深い霧のような混乱が、少しずつ形を変え、日常という名の「静けさ」へと移行していく時期かもしれません。周囲の人々はそれぞれの生活に戻り、街の景色はいつも通りに動いていく。それなのに、あなた方の家の中には、ベン君のいない子供部屋、彼が座っていた空っぽの椅子、彼が触れていたキーボードが、以前よりもいっそう静かに、そして重く存在している。その不在の重さに、朝目覚めるたびに胸を締め付けられるような、そんな日々を過ごしてこられたのではないでしょうか。
私たちは、悲しみから急いで逃れようとしてはなりません。その痛みを、ごまかしてはなりません。まず、その空っぽの椅子の前で、共に立ち尽くし、涙を流すこと。それが、本当に大切な人を愛した私たちの、誠実な姿だからです。
今日の第一朗読で、聖パウロはコリントの信徒たちに、この世の知恵と神の知恵の違いについて熱烈に語っています。「十字架の言葉は、滅びゆく者にとっては愚かなものですが、わたしたち救われる者にとっては神の力です」。
パウロは言います。「世は自分の知恵で神を知ることができなかった」。この世の賢い人々は、目に見える成功や、論理的な正しさ、効率の良さを「知恵」と呼びます。しかし、神の知恵は、この世の目から見れば「愚かさ」に見えるもの、すなわち、自分を完全に与え尽くす「十字架の愛」の中にこそ現れるのだと、パウロは断言するのです。「神の愚かさは人よりも賢く、神の弱さは人よりも強い」のだと。
このパウロの言葉を聞くとき、私たちの心に、十五歳のベン君のあの美しい姿が蘇ります。
彼がまだ十五歳だったとき、叔父のウィリアムさんが二度の脳卒中で倒れ、苦しんでいるという知らせが届きました。そのとき、ベン君は、お父様とお母様に向かって、自分から進んでこう言ったのです。「僕の貯金箱にあるお金を全部あげるよ。叔父さんを助けるために使って」と。
結局、その貯金箱が壊されることはありませんでした。叔父様には保険があり、そのお金が必要になることはなかったからです。ベン君は、貯金箱を割ることも、中身を取り出すこともありませんでした。ただ、彼は「差し出そう」としたのです。自分の持っているすべて、自分の全財産を、苦しんでいる大切な人のために、何のためらいもなく、丸ごと差し出そうとした。その「申し出」そのものが、彼の内側にあったもののすべてを物語っています。
この世の合理的な知恵は、こう言うかもしれません。「子供の貯金箱のお金で何ができるのか。そんなものは何の役にも立たない」と。しかし、神の目から見れば、これこそが最も尊い、天上の「知恵」なのです。自分のすべてを差し出そうとするその純粋な愛は、キリストが十字架の上でご自身を完全に与え尽くされた、あの「神の愚かさ」としての愛と、深く響き合っています。ベン君の心の中には、この世の学者や賢者が一生かかってもたどり着けないような、神の愛の極みが、すでに満ちあふれていたのです。
そして、このベン君の「差し出す愛」こそが、今日の福音書でイエス様が語られた、あの賢いおとめたちが「器に入れて携えていた油」そのものではないでしょうか。
福音書に登場する十人のおとめたちは、全員が花婿を待っていました。そして、花婿の到着が遅れたため、全員が眠り込んでしまいました。眠ること自体は、人間の弱さであり、責められることではありません。違いはただ一つ、ランプと共に「器に油を入れて持っていたかどうか」でした。
この「油」とは何でしょうか。それは、一朝一夕に、あるいは直前になって市場で買い揃えることのできるようなものではありません。それは、日々の生活の中で、神様との静かな交わりにおいて、また身近な人々への小さな愛の行いにおいて、一滴一滴、魂の器に蓄えられていく「愛と信仰の蓄え」です。目には見えないけれど、いざ暗闇が訪れたときに、私たちの命の光を灯し続けるための、内なるリザーブ(蓄え)なのです。
ベン君は、その十五年という短い生涯の中で、誰よりも豊かな「油」をその器に蓄えていました。彼の明晰な頭脳、AIやクラウド・インフラを自ら進んで学ぶ高い知性は、単なる自己満足のためではなく、世界を理解し、誰かの役に立ちたいという、彼の「内なる光」の現れでした。そして何よりも、彼の優しさ、お父様の四十歳の誕生日に「いつかお父さんを失うのではないか」と泣いたあの深い共感力、お父様を「最高のパパ、面白いパパ」と慕い続けたあの敬愛の心。それらの一つひとつが、彼の器に蓄えられた、黄金色に輝く「愛の油」だったのです。
アランさん、タオさん。この二ヶ月間、あなた方は何度も、あの暗い夜の静けさの中で、「なぜ」と問いかけてこられたことでしょう。なぜ、これほどまでに賢く、これほどまでに優しいベンが、これほど早く行かなければならなかったのか。なぜ、私たちのランプの光は、こんなにも早く、不条理に消されてしまったのか、と。
その問いは、時に、ご自身を責める声となって響いたかもしれません。「あの時、もっと違うことができたのではないか」「私たちが何かを見落としたのではないか」……。愛する我が子を守りたかったというその深い愛ゆえに、自分たちの無力さを責め、行き場のない後悔、misplaced guilt に押し潰されそうになる夜があったのではないでしょうか。
今日、主イエスは、その暗闇の中でうつむくあなた方の傍らにそっと座り、その傷ついた肩を抱き寄せながら、はっきりと語りかけておられます。
かつて弟子たちが、苦しむ人を見て「だれが罪を犯したのですか。本人ですか、両親ですか」と尋ねたとき、イエス様はきっぱりと答えられました。「本人が罪を犯したのでも、両親が罪を犯したのでもない。神の業が彼に現れるためである」(ヨハネ9:3)。
アランさん、タオさん。ベン君の病も、その旅立ちも、絶対に、誰のせいでもありません。あなた方の愛が足りなかったからでも、何かを見落としたからでもありません。それは、人間のいかなる注意や、いかなる医学の限界をも超えた、この地上の深い神秘の一部なのです。神様はあなた方を決して責めてはおられません。むしろ、ベン君という美しく清い魂を、十五年間、これ以上ないほどの深い慈しみで包み込み、彼の「器」を愛の油でいっぱいに満たして育て上げたあなた方のその「親としての手」を、神様は誰よりも尊び、祝福しておられます。どうか、ご自分を責めるのを、今日、おやめください。あなた方は、最高の親でした。ベン君は、世界で一番幸せな息子として、あなた方の愛を全身に浴びて育ち、その器を愛の油で満たした状態で、天国へと旅立ったのです。
ベン君は、お父様の夢の中に現れてくれましたね。「お父さん、テストはどれも全部パスしたよ。自分で普通に呼吸できるんだ……。大丈夫、パパとママを見守っているからね」と。その夢の中で、ベン君はお父様をきつく抱きしめてくれました。あの抱擁の温もり、それこそが、天国から届けられたベン君のメッセージです。彼は今、地上の肉体の制限をすべて脱ぎ捨て、神様の無限の愛という大空の中で、大好きな飛行機のように、自由に、そして安らかに羽ばたいています。そこにはもう、息苦しさも、痛みも、涙もありません。彼は、すべてのテストを終え、天国の「合格通知」を誇らしげに掲げて、天の祝宴の席に、満ち足りた油のランプを携えて入っていったのです。
弟のライアン君。
お兄ちゃんは、あなたのことを今も、誰よりも誇りに思っています。世界中を一緒に旅したときのように、お兄ちゃんは今も、あなたのすぐ隣で、あなたの歩みを見守っています。あなたがこれから成長していくその一歩一歩を、お兄ちゃんは天国から、あの優しい笑顔で応援しています。あなたがこれから、お兄ちゃんの分まで、この地上で元気に、幸せに生きていくこと。それこそが、天国のお兄ちゃんにとっての一番の喜びです。寂しいときは、心の中で、お兄ちゃんが残してくれた「優しさの貯金箱」を開けてみてください。そこには、あなたを愛してやまないお兄ちゃんの温もりが、今も変わらず残っています。
画面を通してこの祈りをともに捧げている、世界中の皆さま。病床で重い病と闘っている子どもたち、そして愛する人を失い、心の扉を閉ざしてしまいそうなすべてのご家族の皆さま。
神様は、私たちの流す涙を、ご自身の掌にすべて集めてくださいます。パウロが言うように、神様は「忠実な方」です。私たちがどんなに暗い夜の中にいても、主は「目を覚ましていなさい。わたしはあなたとともにいる」と語りかけ、私たちのランプに、ご自身の恵みの油を注ぎ足してくださいます。
今日、この祈りの集いを終えて、皆さんがそれぞれの生活に戻るとき、一つの小さなことを持ち帰ってください。
それは、今日、あなたの周りにいる大切な人に、自分の「愛の油」を惜しみなく差し出す、ということです。それは、ベン君が叔父様のために自分の貯金箱を差し出そうとしたあの純粋な心のように、見返りを求めず、ただ「あなたを大切に思っている」という思いを、言葉や小さな行動で表すことです。
私たちがそのようにして互いに愛の油を分かち合うとき、この世界は、ベン君が愛したあの温かい光で、少しずつ満たされていくのです。
ベンジャミン・ヴォ君。あなたの美しい魂は、今、神様の御手の中で、永遠の安息に包まれています。あなたの遺した温かい光を、私たちは決して忘れません。天国から、どうか私たちを、そして大好きなご家族を、これからも優しく導いてください。
平和の主ご自身が、アランさん、タオさん、ライアン君、そして今日祈りを合わせるすべての人々の上に、常に、豊かな平和を注いでくださいますように。
アーメン。
For the intentions entrusted to Ben on our prayer wall:
At the Savior’s command and formed by divine teaching, we dare to say:
天におられるわたしたちの父よ、み名が聖とされますように。み国が来ますように。みこころが天に行われるとおり地にも行われますように。 わたしたちの日ごとの糧を今日もお与えください。わたしたちの罪をおゆるしください。わたしたちも人をゆるします。わたしたちを誘惑におちいらせず、悪からお救いください。アーメン。
主が皆さんを祝福し、すべての悪から守り、永遠の命に導いてくださいますように。私たちは、天国にいるベン君とともに、キリストの平和のうちに歩み続けましょう。父と子と聖霊の御名によって。アーメン。
✝ 全能の神があなたを祝福し、父と、子と、聖霊の恵みがあなたとと もにありますように。アーメン。