父と子と聖霊のみ名によって。アーメン。主イエス・キリストの恵み、神の愛、聖霊の交わりが、皆さんとともにありますように。
主よ、わたしたちの弱さと恐れをお赦しください。主よ、恵みを絶え間なく注ぎたまえ。 キリストよ、苦しみの中に立つわたしたちに強さを与えてください。キリスト、恵みを絶え間なく注ぎたまえ。 主よ、わたしたちの心をあなたの御言葉で満たしてください。主よ、恵みを絶え間なく注ぎたまえ。
会堂の中に満ちる、古い羊皮紙と木造りの静けさ……。
ナザレの会堂で、イエス様がお立ちになり、手渡されたイザヤの巻物をゆっくりと紐解く場面を思い浮かべてみてください。主はその文字を音読し、読み終えると、静かに巻物を巻き直し、係員に手渡して腰掛けられました。会堂にいた全員の目が、イエス様に注がれています。大げさな身振りも、飾られた言葉もありませんでした。ただ、神の言葉を忠実に受け取り、それを開いて読み、静かに手渡すという、純粋で荘厳な姿がそこにはありました。
今日、私たちはこの「開かれた巻物と、それを静かに手渡す手」という一つのイメージを、今日の聖書、そして愛するベンジャミン・ヴォ君――ベン君の生涯と重ね合わせながら、静かに、そして深く見つめていきたいと思います。
第一朗読で、聖パウロはコリントの信徒たちにこう語りかけています。「兄弟たち、わたしもそちらに行ったとき、神の秘められた計画を宣べ伝えるのに、優れた言葉や知恵を用いませんでした。なぜなら、わたしはあなたがたの間で、イエス・キリスト、それも十字架につけられたキリストのほかは、何も知るまいと決意していたからです。わたしはそちらに行ったとき、弱く、恐れ、大いに小さくなっていました」。
パウロは、人間の飾られた言葉や巧みな知恵ではなく、「神の力」だけを信頼していました。本当の美しさ、本当の尊さは、目立つ大演説の中にあるのではなく、自分の弱さを抱えながらも、神様から託された巻物を精一杯開き、与えられた命を誠実に生き切る姿の中にこそ現れるのです。
愛するベン君が天の父のもとへと旅立たれてから、およそ二ヶ月が経ちました。六月十三日から、今日という日まで……。
アランさん、タオさん、そしてライアン君。
この二ヶ月という月日は、あなた方にとって、どのような時間だったでしょうか。最初の激しい衝撃が少しずつ静まり、家の中に静寂が広がるにつれ、ベン君の「不在」という重みが、胸の奥深くに重くのしかかってくる時期かもしれません。周囲の人々はそれぞれの日常へと戻り、季節は移り変わっていきます。それなのに、あなた方の家庭の中には、ベン君の使っていた机、彼が整然とコードを書き込んでいた画面、彼が愛した場所が、空っぽのまま残されています。朝、目が覚めた瞬間に押し寄せてくる「彼はもうここにはいない」という現実。それは、胸をえぐられるような、偽りのない痛みです。
私たちは、その悲しみを急いで押し殺す必要はありません。まず、その痛みをありのままに認めましょう。愛する者を失った痛みに涙することは、それほどまでにベン君を心から愛していたという、尊い愛の証しだからです。
今日の第一朗読と福音書は、私たちのこの深い傷つきと、人間の弱さにそっと寄り添ってくれています。
パウロは言いました。「わたしはそちらに行ったとき、弱く、恐れ、大いに小さくなっていました」と。そして、ナザレの人々はイエス様に向かって「この人はヨセフの子ではないか」と言い、やがて怒りに満ちて、イエス様を町の外へ追い出し、崖から突き落とそうとしました。世界は時に、理不尽な激しさと苦しみをもって、私たちに襲いかかります。なぜ、これほどまでに清く、優しいベン君が、これほど早く旅立たなければならなかったのか。なぜ、私たちの家庭に、このような深い試練が訪れなければならなかったのか……。
アランさん、タオさん。この二ヶ月間、あなた方は暗い夜の静けさの中で、何度もこの「なぜ」という問いを繰り返し、時には「自分たちの何かが足りなかったのではないか」「もっと早く、何かできたのではないか」と、ご自身を責める声に苦しめられてこられたのではないでしょうか。我が子を守りたいというあまりに深い愛ゆえに、自分たちの無力さを責め、misplaced guilt(場違いな罪悪感)の重荷を背負いそうになる夜があったかもしれません。
今日、主イエスは、その暗闇の中で胸を痛めるあなた方の傍らに静かに座り、その傷ついた肩を抱き寄せながら、はっきりと語りかけておられます。
かつて弟子たちが、苦しむ人を見て「だれが罪を犯したのですか。本人ですか、両親ですか」と尋ねたとき、イエス様はきっぱりと答えられました。「本人が罪を犯したのでも、両親が罪を犯したのでもない。神の業が彼に現れるためである」(ヨハネ9:3)。
アランさん、タオさん。ベン君の病も、その旅立ちも、絶対に、誰のせいでもありません。あなた方の愛が足りなかったからでも、何かを見落としたからでもありません。それは、人間のいかなる注意や、いかなる医学の限界をも超えた、この地上の深い神秘の一部なのです。神様はあなた方を決して責めてはおられません。むしろ、ベン君という美しく輝く魂を、十五年間、これ以上ないほどの深い慈しみと尊重をもって育み、彼の「人生の巻物」を温かく支え続けたあなた方のその「親としての手」を、神様は誰よりも尊び、祝福しておられます。どうか、ご自分を責めるのを、今日、おやめください。あなた方は、最高の親でした。ベン君は、世界で一番幸せな息子として、あなた方の愛を全身に浴びて育ったのです。
ベン君の十五年という生涯を、今日朗読された「巻物を開き、手渡す」という姿に重ね合わせてみてください。
ベン君は、非常に優れた知性と論理的な思考力を持つ少年でした。しかし、彼の本当の素晴らしさは、自分の才能をひけらかすことのない、どこまでも素直で謙遜な心にありました。彼は、言葉で飾ることをせず、ただ行動と情熱で自分の命を全うしようとしました。バドミントンのコートで見せた彼の姿を思い出してください。「全力を尽くすこと、ただそれだけが大切なのだ(trying is all that matters)」――彼はその信念を胸に、汗を流し、決してあきらめることなく、コートの上で自分の全力を出し切りました。シャトルを追いかけるその熱意、入部が決まった瞬間にご家族全員と分かち合ったあの純粋な喜び。そこには、飾られた言葉ではなく、全力で生きる人間の美しさがありました。
彼は、神様から与えられた「人生という巻物」を、一日一日、一生懸命に紐解いていました。鋭い知性で学問に励み、大好きな飛行機やテクノロジーに目を輝かせ、家族とともに世界を旅し、お父様やお母様、弟のライアン君へ深く温かい敬意と愛を注ぎ続けました。彼は、自分の巻物に、偽りのない純粋な愛の行いだけを書き込んでいったのです。
そして、その十五年の旅路を走り抜けたとき、彼はいささかの悔いもなく、自分の命の巻物を静かに巻き直し、天の父なる神様の手へと、感謝とともに手渡しました。
福音書の中で、ナザレの人々がイエス様を崖から突き落とそうとしたとき、イエス様は「彼らの中を通り抜けて、去っていかれた」とあります。悪や死の力は、主を滅ぼすことができませんでした。主はそれらを通り抜け、父のもとへと歩んでいかれたのです。同じように、ベン君もまた、この地上の病と苦しみを通り抜け、今や天の父の平安の中へと入っていきました。
お父様がご覧になったあの夢の中で、ベン君はこう言いましたね。「パパ、テストはどれも全部パスしたよ。自分で普通に呼吸できるんだ……。大丈夫、パパとママを見守っているからね」と。
その言葉の通り、ベン君はこの地上のすべてのテストを、純粋な愛と誠実さをもって「パス」しました。彼は今、病の息苦しさや制限から完全に解き放たれ、天国の祝宴の席で、同じく十五歳で天に召された聖カルロ・アクティスとともに、清らかな笑顔でたたずんでいます。彼が夢見た大空のように広い神様の御手の中で、ベン君は今、安らかに休息し、私たちを見守ってくれています。
ベトナムのカマウに建てられた「愛の井戸(Giếng Gioan Baotixita)」から湧き出る水は、ベン君が開いた命の巻物が、今もなおこの地上で新しい恵みのページをめくり続けている証しです。彼が残した愛は消えることがなく、渇いた人々を潤す生きた水となって流れ続けています。
弟のライアン君。
お兄ちゃんは、あなたのことを今も、誰よりも誇りに思っています。バドミントンをするときも、勉学に励むときも、お兄ちゃんが語った「全力を尽くすこと、ただそれだけ」という言葉は、あなたの心の中で生き続けています。あなたがこれから歩んでいく一歩一歩を、お兄ちゃんは天国から、「ライアン、頑張れ」と優しい目で見守っています。あなたが幸せに、元気に生きること。それこそが、天国のお兄ちゃんにとっての一番の願いであり、喜びなのです。
画面を通し、遠くからこの祈りをともに捧げている世界中の皆さま。病床で苦しむ子どもたち、そして愛する人を失い、暗闇の中で途方に暮れているすべてのご家族の皆さま。
神様は、私たちの流す涙を、決して忘れません。聖パウロが語ったように、私たちの信仰は「人間の知恵」の上にではなく、「神の力」の上に立っています。私たちが自分の弱さや悲しみに打ちひしがれるとき、神の力は、その弱さの中でこそ完全に現れるのです。
今日、この祈りの集いを終えて、皆さんがそれぞれの生活へと戻られるとき、一つの小さなことを心に携えて出かけてください。
それは、今日何か困難なことや、自分の弱さに直面したとき、ベン君が大切にしていた「全力を尽くすこと、ただそれだけ」という思いを思い起こし、結果を恐れずに、目の前の小さな愛の行いに心を込める、ということです。飾られた言葉や大きな成功を目指す必要はありません。ただ、ありのままの自分を神様に献げ、目の前の人を大切にすること。それが、ベン君が私たちに遺してくれた、最も美しい生き方です。
ベンジャミン・ヴォ君。あなたの美しい魂は、今、神様の無限の慈しみの中で輝いています。あなたが静かに手渡した人生の巻物は、私たちの心の中で、今も温かい光を放ち続けています。天国から、どうか私たちを、そしてあなたを愛してやまないご家族を、これからも優しく見守ってください。
平和の主ご自身が、アランさん、タオさん、ライアン君、そして今日祈りを合わせるすべての人々の上に、常に、豊かな平和を注いでくださいますように。
アーメン。
For the intentions entrusted to Ben on our prayer wall:
At the Savior’s command and formed by divine teaching, we dare to say:
天におられるわたしたちの父よ、み名が聖とされますように。み国が来ますように。みこころが天に行われるとおり地にも行われますように。 わたしたちの日ごとの糧を今日もお与えください。わたしたちの罪をおゆるしください。わたしたちも人をゆるします。わたしたちを誘惑におちいらせず、悪からお救いください。アーメン。
主が皆さんを祝福し、あらゆる悪から守り、永遠の命へと導いてくださいますように。アーメン。
✝ 全能の神があなたを祝福し、父と、子と、聖霊の恵みがあなたとと もにありますように。アーメン。