父と子と聖霊のみ名によって。アーメン。主イエスの慈しみと神の愛、聖霊の交わりが皆さんとともにありますように。今日は、真理を証しするために命を捧げた聖ヨハネ・レプティスタを記念し、愛するベンジャミン・ヴォ君を思いながら祈りましょう。
主よ、わたしたちを憐れんでください。 キリスト、わたしたちを憐れんでください。 主よ、わたしたちを憐れんでください。
きらびやかな宴会の広間と、冷たく湿った地下の牢獄。今日の福音書が描き出すこの対照的な二つの場所を、静かに思い浮かべてみてください……。
広間では、王ヘロデが自分の誕生日の祝宴を開いています。音楽が鳴り響き、豪華な食事が並び、権力者たちが笑い声を上げています。そこにあるのは、この世の「強さ」と「知恵」の象徴です。しかし、その華やかさの裏側では、憎しみと虚栄、そして臆病な心が渦巻いています。一方で、地下の牢獄には、一人の男が繋がれています。洗礼者ヨハネです。彼は何も持たず、力もありません。しかし、彼には「声」がありました。真理を語り、神の道を指し示す、決してかき消されることのない「声」がありました。
今日、私たちはこの「声」というイメージを、愛するベンジャミン・ヴォ君――ベン君の生涯と重ね合わせながら、神様の深い神秘を見つめていきたいと思います。
ベン君が天の父のもとへと旅立たれてから、今日でちょうど二ヶ月が経ちました。六月十三日から、今日という日まで……。
アランさん、タオさん、そしてライアン君。この二ヶ月という月日は、あなた方にとって、どのような時間だったでしょうか。最初の、あの現実を突きつけられた衝撃が、日常という形を持った深い「不在」へと変わっていく時期かもしれません。家の中の静けさが、以前よりも重く感じられることもあるでしょう。周囲の人々はそれぞれの生活に戻り、世界は何事もなかったかのように動いていく。それなのに、あなた方の心の中には、埋めることのできない大きな穴が開いたままです。朝、目が覚めた瞬間に襲ってくる喪失感。ふとした瞬間に、「ああ、ベンはもういないのだ」と思い出すあの鋭い痛み。私たちは、その痛みを急いで消そうとする必要はありません。その悲しみこそが、ベン君をどれほど深く愛していたかという証しだからです。
今日の第一朗読で、聖パウロは驚くべきことを語っています。「神は知恵ある者に恥をかかせるため、世の無学な者を選び、強い者に恥をかかせるため、世の弱い者を選ばれました」。
パウロが言う「世の弱い者」とは、決して価値が低いという意味ではありません。むしろ、この世の基準――権力や富、健康、長い寿命――といった物差しでは測りきれない、神様の特別な宝物のことです。ヘロデ王は「強い者」に見えましたが、実際には自分の面ツブを守るために正しい人を殺してしまうほど「弱い」男でした。対して、牢獄のヨハネは「弱い者」に見えましたが、神の知恵に満たされた「強い」人でした。
ベン君の十五年という生涯もまた、この世の物差しでは測りきれない、神様の「知恵」に満ちたものでした。
お父様のアランさんは、かつてベン君が幼かった頃のことを語ってくださいました。ベン君は幼い頃、言葉を話すのが少し遅かった時期がありましたね。IEP(個別教育プログラム)の先生から、「ベン君はもうこのプログラムを卒業できますよ」と言われたとき、お父様はどれほど喜ばれたことでしょう。ベン君は、ただ静かに、周囲を観察し、内側に豊かな世界を蓄えていたのです。そして、一度言葉が溢れ出すと、その知性は驚くべき速さで開花していきました。
言葉の遅れという、世間から見れば「弱さ」に見えるかもしれない時間を経て、ベン君は誰よりも鋭い論理的思考と、プログラミングやAIを自在に操る「知恵」を手に入れました。しかし、彼が最も素晴らしい「声」を発したのは、技術的な知識においてではありませんでした。それは、彼の「笑い声」と「優しさ」においてでした。
ベン君が「コン・チム航空(小鳥航空)」という会社を作りたいと話し、クスクスと笑っていたあの瞬間のことを思い出してください。十五歳の少年が、そんな可愛らしい名前を思いつき、純粋な喜びとともに夢を語る。その笑い声こそが、荒れ野で叫ぶヨハネの声のように、私たちの心のわだかまりを解かし、神様の平和を告げる「声」だったのではないでしょうか。彼の笑い声は、この世の複雑な悩みや苦しみを一瞬で忘れさせる、天国からの響きでした。
しかし、福音書は残酷な結末を告げます。ヨハネは殺され、その首は盆に載せられて運ばれました。なぜ、これほど正しい人が、これほど理不尽な死を遂げなければならなかったのか。なぜ、これほど美しく、これほど優しいベン君が、これほど早く旅立たなければならなかったのか。この「なぜ」という問いは、私たちの心を暗く覆います。
アランさん、タオさん。この二ヶ月間、あなた方は何度も、この「なぜ」という問いに、ご自身を責める声が混じるのを感じてこられたのではないでしょうか。「もっと早く気づいてあげられたら」「あの時、違う選択をしていれば」……。愛する我が子を守りたかったというその深い愛ゆえに、自分たちの無力さを責め、misplaced guilt(場違いな罪悪感)の重荷に押し潰されそうになる夜があったかもしれません。
今日、主イエスは、その暗闇の中でうつむくあなた方の傍らにそっと座り、傷ついた肩を抱き寄せながら、はっきりと語りかけておられます。
かつて弟子たちが、苦しむ人を見て「だれが罪を犯したのですか。本人ですか、両親ですか」と尋ねたとき、イエス様はきっぱりと答えられました。「本人が罪を犯したのでも、両親が罪を犯したのではない。神の業が彼に現れるためである」(ヨハネ9:3)。
アランさん、タオさん。ベン君の病も、その旅立ちも、絶対に、誰のせいでもありません。あなた方の愛が足りなかったからでも、何かを見落としたからでもありません。それは、人間のいかなる注意や、いかなる医学の限界をも超えた、この地上の深い神秘の一部なのです。神様はあなた方を決して責めてはおられません。むしろ、ベン君という清い魂を、十五年間、これ以上ないほどの深い慈しみで包み込み、彼の「声」を大切に育て上げたあなた方のその「親としての手」を、神様は誰よりも尊び、祝福しておられます。どうか、ご自分を責めるのを、今日、おやめください。あなた方は、最高の親でした。ベン君は、世界で一番幸せな息子として、あなた方の愛を全身に浴びて育ったのです。
ヨハネの弟子たちは、彼の遺体を引き取り、墓に納めました。彼らの心は絶望に満ちていたかもしれません。しかし、ヨハネの「声」は消えませんでした。その声はイエス・キリストへと引き継がれ、今も私たちを励ましています。同じように、ベン君の「声」も、決して消えることはありません。
ベトナムのカマウに建てられた「愛の井戸(Giếng Gioan Baotixita)」から湧き出る水の音を聞いてください。それは、ベン君の優しさが形を変えて、渇いた人々に届いている「声」です。叔父様のウィリアムさんが倒れたとき、自分の貯金箱を差し出そうとしたあの無言の申し出。それは、この世のどんな雄弁な演説よりも強く、神様の愛を証しする「声」でした。
お父様は最近、不思議な夢を見られましたね。ベン君と一緒にアイスクリームを買うために列に並び、ベン君が代金を支払ってくれたという夢。そして、別の夢では「パパ、テストはどれも全部パスしたよ。自分で普通に呼吸できるんだ」と語りかけてくれた。その夢の中で、ベン君はもはや「助けられる子供」ではなく、お父様を支え、安心させる「強い存在」として現れました。彼は今、天国の「祝宴」の席にいます。ヘロデの虚しい宴会ではなく、愛と光に満ちた神様の祝宴です。そこでは、彼は大好きな飛行機のように自由に、何の苦しみもなく、あの「コン・チム航空」の笑い声を響かせているのです。
弟のライアン君。
お兄ちゃんは、あなたのことを今も、誰よりも誇りに思っています。一緒に世界中を旅したとき、隣で笑っていたお兄ちゃんは、今もあなたのすぐそばにいます。あなたがこれから成長していくその一歩一歩を、お兄ちゃんは天国から、「ライアン、頑張れ」と応援しています。あなたが幸せに生きること、それがお兄ちゃんにとって一番の喜びです。寂しいときは、心の中で、お兄ちゃんのあのクスクスという笑い声を思い出してごらん。お兄ちゃんは、あなたの笑顔の中に生きているんだよ。
画面を通してこの祈りをともに捧げている、世界中の皆さま。病床で闘っている子供たち、そして愛する人を失い、暗闇の中にいるすべてのご家族の皆さま。
神様は、私たちの流す涙を一滴も無駄にされません。パウロが言うように、「誇る者は主を誇れ」。私たちの「誇り」は、私たちがどれほど完璧であるかではなく、私たちがどれほど神様に愛されているか、という点にあります。ベン君の人生は、その愛の完璧な証明でした。
今日、この祈りの集いを終えて、皆さんがそれぞれの生活に戻るとき、一つの小さなことを持ち帰ってください。
それは、今日、あなたの周りにいる大切な人の「声」を、心を込めて聴くということです。そして、あなた自身も、優しい「声」を誰かに届けてください。ベン君が「コン・チム航空」という名前で私たちを笑顔にしたように、あなたの言葉が、誰かの心の重荷を少しだけ軽くする光となりますように。
ベンジャミン・ヴォ君。あなたの美しい魂は、今、神様の無限の慈しみの中で輝いています。あなたの遺した温かい「声」を、私たちは決して忘れません。天国から、どうか私たちを、そして大好きなご家族を、これからも優しく見守ってください。
平和の主ご自身が、アランさん、タオさん、ライアン君、そして今日祈りを合わせるすべての人々の上に、常に、豊かな平和を注いでくださいますように。
アーメン。
For the intentions entrusted to Ben on our prayer wall:
At the Savior’s command and formed by divine teaching, we dare to say:
天におられるわたしたちの父よ、み名が聖とされますように。み国が来ますように。みこころが天に行われるとおり地にも行われますように。 わたしたちの日ごとの糧を今日もお与えください。わたしたちの罪をおゆるしください。わたしたちも人をゆるします。わたしたちを誘惑におちいらせず、悪からお救いください。アーメン。
主の平和が皆さんとともに。神の慈しみが、悲しみの中にあるすべての人を包み、希望の光で照らしてくださいますように。父と子と聖霊のみ名によって。アーメン。
✝ 全能の神があなたを祝福し、父と、子と、聖霊の恵みがあなたとと もにありますように。アーメン。