父と子と聖霊の御名によって。アレルヤ。天の女王であられる聖母マリアの記念日に、主イエス・キリストの平和と温かい慰めが、皆さんとともにありますように。
主よ、深き淵より叫ぶわたしたちの祈りをお聞きください。主よ、憐れみたまえ。 キリストよ、暗闇の中に光をもたらし、傷ついた心を包んでください。キリストよ、憐れみたまえ。 主よ、わたしたちの涙を拭い、永遠の希望へと導いてください。主よ、憐れみたまえ。
朝、まだ街全体が深い静寂の中に眠っている時刻……。
東の空がゆっくりと白み始め、柔らかい最初の光が静かに地上を照らし出す瞬間を思い浮かべてみてください。
その光は、大きな音を立てるわけではありません。
自分の存在を誇示するように主張することもありません。
ただ、開かれた門を通ってそっと部屋に入り込み、冷え切っていた空気を少しずつ、温めていきます……。
今日、預言者エゼキエルが見たのは、まさにそのような光景でした。
「見よ、イスラエルの神の栄光が東の方から来た……主の栄光は、東に面した門を通って神殿に入った」(エゼキエル43:1-4)。
神様の眩しい栄光は、絢爛豪華な大通りの行進としてではなく、ただ東に向かって静かに開かれた「東の門」を通って、神殿の奥深くへと入っていきました。
そして、その光が内庭を満たしたとき、主の静かな声が響きます。
「ここは私の玉座の場所……私はここに、とこしえに住む」と。
「東の門」……。
それは、新しい朝の光を真っ先に受け止める場所です。
自分を飾ることも、誇ることもなく、ただ与えられる光のためにまっすぐに開かれている静かな扉です。
教会は今日、「聖母の元后(女王)」の記念日をお祝いしています。
「天の女王」と聞くと、私たちは世の王冠や、黄金の座、人々から平伏される豪華な権威を想像するかもしれません。
しかし、マリア様が受講された「女王」の冠は、世の権力とは全く異なるものでした。
今日の福音書で、イエス様はこう語りかけられます。
「高ぶる者は低くされ、へりくだる者は高められる」(マタイ23:12)。
当時の宗教指導者たちは、宴会で上座に座ることを好み、人々の目を引くような長い服を着て、「先生」や「指導者」と呼ばれて自分を誇っていました。
彼らは自分を高くしようと躍起になっていました。
しかし、イエス様は言われます。「あなたがたのうちで最も偉い者は、あなたがたに仕える者でなければならない」と。
聖母マリア様は、生涯一度も自分を誇ることはありませんでした。
「私は主のはしためです」と静かに答え、ただ神様の光がご自分の歩みを通して世に注がれることだけを望まれました。
マリア様の心こそが、東の空に向かって開かれた、最も美しい「東の門」だったのです。
神様はそのへりくだった静かな心をご覧になり、彼女を天の女王として高く引き上げられました。
神の栄光は、威張る者の城ではなく、へりくだった静かな心に宿るのです。
そして、今日……私たちは、その「東の門」のような純粋さと、飾らない温かさを持っていた一人の少年のことを思っています。
ベンジャミン・ヴォ君……。
ベン君が天の父のもとへ旅立たれてから、今日でちょうど二ヶ月が経ちました。
六月十三日から、八月十三日……。
残されたご家族にとって、この二ヶ月という時間は、一日一日がどれほど長く、どれほど重く感じられたことでしょう。
お父様のアランさん、お母様のタオさん、そして弟のライアン君。
朝、目が覚めたとき、東の空から光が差し込んでも、ベン君の元気な「おはよう」という声は聞こえてきません。
食卓に並ぶお皿、静まり返った部屋、彼がいつも座っていた場所……。
二ヶ月が過ぎても、胸の中に空いたその大きな穴は、小さくなるどころか、静寂とともにますます深く感じられる日があるかもしれません。
あの明るい夏の日……中学八年生の修了式の日の写真を思い出します。
パリッとした白いシャツを着て、首には色鮮やかな赤と黄色のお花で作られたレイをかけ、手にはくるくると丸められた卒業証書を大切に抱えていたベン君の姿を……。
カメラに向かって、歯列矯正の器具がのぞく大きな、屈託のない笑顔で、手を振っていたあのベンジャミン君……。
彼は、卓越した頭脳を持っていました。
数学の論理を鮮やかに解き明かし、大人でも苦労するような複雑なプログラミングやITの世界を軽々と探求するような知識を持っていました。
けれど、彼はその才能を誰かに誇ったり、人より優位に立とうとしたりしたことは一度もありませんでした。
修了式で見せたあの笑顔のように、彼はただ自分が学び、成長し、家族とともにいられることを、純粋に喜んでいました。
ベン君の心は、いつも誇り高ぶることのない、静かな「東の門」でした。
誰かを見下すことなく、威張ることもなく、周りの人々への温かい思いやりに満ちていました。
彼の中にあったのは、まさにイエス様が今日語られた、「へりくだる者」「仕える者」の純粋な美しさでした。
しかし、愛する我が子を失ったこの二ヶ月間……ご家族の心には、時に暗い嵐のような問いが吹き荒れたこともあったのではないでしょうか。
「なぜ、ベンだったのだろう」
「もしあの時、別の選択をしていたら……」
「自分が何か大切なことを見落としていたのではないだろうか……」
夜、一人静かにベッドに入るとき、そんな自責の念が胸を締め付け、自分を責めてしまう瞬間があったかもしれません。
ですが、今日、主イエス・キリストの御言葉とともに、私はご家族に、そしてここに集う皆さんに、心を込めてお伝えしたいのです。
かつて弟子たちが、生まれつき目の見えない人を見て「だれが罪を犯したのですか。本人ですか、両親ですか」と尋ねたとき、イエス様はきっぱりと答えられました。
「本人が罪を犯したのでも、両親が罪を犯したのでもない」(ヨハネ9:3)。
アランさん、タオさん、どうか聞いてください。
ベン君の病や早すぎる旅立ちは、絶対に誰のせいでもありません。
ご両親の愛が足りなかったからでもなく、何かを見落としたからでもありません。
人間のどんな注意や努力をも超えた、この地上の深い苦しみの一部だったのです。
神様はあなた方を責めてはおられません。
神様は決して、罰として愛する子どもに病を与えるような方ではありません。
どうか、その胸の中にある「もしも」という重い石を、今日、主イエスのみもとに降ろしてください。
あなた方は、ベン君に人間として注ぎ得る限りの最高の愛と、温かい家庭を与え尽くしました。
その愛は、ベン君の十五年の生涯を、どれほど深く、温かく満たしていたことでしょう。
ベン君自身が、誰よりもそのことを知っています。
「主の栄光は、東に面した門を通って神殿に入った……見よ、主の栄光が神殿を満たしていた」(エゼキエル43:4-5)。
エゼキエルが見たこの幻は、過去の物語ではありません。
ベンジャミン君が息を引き取ったあの瞬間、彼は暗闇の中に消え去ったのではありません。
彼は、永遠に閉じられることのない天の「東の門」を通り抜け、神様の栄光が満ちあふれる天の聖所へと入っていったのです。
今日、天の女王として戴冠された聖母マリア様が、その東の門の傍らでベン君を温かく迎え入れられました。
地上で、へりくだった純粋な心で毎日を生きたベンジャミン君は、いまや天の国で、聖母マリア様や聖カルロ・アクティスとともに、最も美しい栄光の光の中に包まれています。
そこには、もう痛みも、息苦しさも、病の重荷もありません。
彼は本当の自由を得て、神様の玉座のすぐそばで、あの輝くばかりの笑顔で微笑んでいます。
そして、天の東の門から注がれるその光は、いまも地上に残されたご家族の足を照らし続けています。
弟のライアン君……。
お兄ちゃんは、あなたのことを今も変わらず、心から愛しています。
あなたが学校に通うとき、友達と遊ぶとき、ふと空を見上げるとき……ベン君は天のいちばん良い場所から、誇らしげにあなたを見守っています。
「ライアン、僕の分まで、一日一日を大切に、笑顔で生きてね」と、そっと肩を抱きしめています。
画面を通してこの祈りをともに捧げている、全国の、そして世界中の皆さま。
病院のベッドで重い病とたたかっているお子さんたち。
愛する人を失い、深い哀しみの暗闇の中で「東の光」が見えなくなっているご家族の皆さま……。
神様は、私たちの流す涙の粒を、一つとしてお忘れになりません。
私たちが自分の無力さに打ちひしがれ、へりくだって神様を見上げるとき、その傷ついた胸の扉こそが、主の栄光が入る「東の門」となります。
主の光は、あなたの心の最も深い哀しみの中へと静かに入り込み、そこを平和で満たしてくださいます。
今日、この祈りを終えてそれぞれの日常に戻るとき、一つの小さな光を胸に抱いて出かけてください。
明日の朝、もし可能なら、少しだけ早く起きて東の空を見上げてみてください。
あるいは、日々の生活の中で、誰にも気づかれないような小さな優しさを、ひとつだけ行ってみてください。
見返りを求めず、自分を誇るためでもなく、ただ静かに誰かの肩の荷を軽くしてあげるような、小さな仕える行いを……。
その小さな愛の行いこそが、私たちの心に「東の門」を開き、主の栄光をこの世界へと迎え入れる一筋の光となります。
ベンジャミン・ヴォ君が遺してくれた純粋な愛と笑顔は、消え去ることはありません。
彼は天の父の豊かな御手の中で安らかに休息し、私たちのために祈ってくれています。
天の女王であられる聖母マリア様の母なる御保護と、主イエス・キリストの無限の慈しみが、アランさん、タオさん、ライアン君、そして今日祈りを合わせるすべての人々の歩みを、今日も、明日も、永遠に照らし続けてくださいますように。
アーメン。
For the intentions entrusted to Ben on our prayer wall:
At the Savior’s command and formed by divine teaching, we dare to say:
天におられるわたしたちの父よ、み名が聖とされますように。み国が来ますように。みこころが天に行われるとおり地にも行われますように。 わたしたちの日ごとの糧を今日もお与えください。わたしたちの罪をおゆるしください。わたしたちも人をゆるします。わたしたちを誘惑におちいらせず、悪からお救いください。アーメン。
✝ 全能の神があなたを祝福し、父と、子と、聖霊の恵みがあなたとと もにありますように。アーメン。