父と子と聖霊のみ名によって。アーメン。
恵みと平和が皆様と共にありますように。
主よ、憐れんでください。 キリストよ、憐れんでください。 主よ、憐れんでください。
今日の第一朗読で、預言者ミカは、神がご自分の民に対して「わたしはあなたに何をしたというのか。どのようにあなたを疲れさせたというのか。答えよ」と問いかけられる場面を描いています。まるで法廷のようです。神は、ご自分の民が正しい行いをせず、愛と善意を忘れ、謙遜に歩まないことを嘆かれています。神が本当に求めているのは、いけにえや捧げ物ではなく、「ただ、正しいことを行い、善意を愛し、謙遜にあなたの神と共に歩むこと」だと明確に語られています。
一方、今日の福音では、律法学者やファリサイ派の人々がイエス様に「しるしを見せてください」と求めます。彼らは目に見える奇跡を期待しましたが、イエス様は「邪悪で不忠実な世代はしるしを求めるが、預言者ヨナのしるしのほかには、どんなしるしも与えられない」と答えられました。ヨナのしるしとは、イエス様ご自身の死と復活、すなわち、十字架と空の墓という、最も深い神の愛のしるしです。
この二つの朗読は、私たちに何を教えているのでしょうか。神は、外見的な行いや儀式ではなく、私たちの心の奥底にあるもの、つまり「正しい行い、善意、謙遜」を求めておられます。そして、イエス様は、私たちが求めるような目に見える「しるし」ではなく、ご自身の命を捧げるという、究極の愛の「しるし」を与えてくださいました。それは、私たち一人ひとりが、神の愛を信じ、その愛に応えて生きることこそが、真の信仰の道であることを示しています。
愛するベンジャミン・ヴォ君が天に召されてから5週間が経ちました。ベン君は、その短い人生の中で、どれほど多くの愛と喜びを分かち合ったことでしょう。彼は、特に航空機、特にボーイング737に対する深い情熱を持っていました。お父様と一緒に、訪れるほぼすべての都市で「空港スポッティング」を楽しみ、その好奇心と探求心は、まさに神が与えた賜物でした。彼は、人生の「しるし」を、旅と発見の中に見ていたのかもしれません。しかし、彼の人生そのものが、私たちにとって、神の愛の「しるし」であったことを、私たちは知っています。
ベン君の人生は、私たちに、神が与えてくださる命の尊さ、そして、たとえ若くして人生を終えたとしても、神の御心の中には深い意味と目的があることを教えてくれます。彼は今、天の宴で、聖カルロ・アクティスと共に、神の無限の憐れみと愛の中で安らかに憩っていることでしょう。
ベン君のご両親、アランさんとタオさん、そして弟のライアン君にとって、この喪失は筆舌に尽くしがたい悲しみであり、重荷であることと思います。また、ベン君を愛したすべてのおじ、おば、そして親しい方々も、深い悲しみの中にいらっしゃることでしょう。今日の朗読は、私たちに、神が本当に求めているのは、私たちの心の真実であると語りかけます。そして、イエス様は、ご自身の命をもって、私たちへの究極の愛の「しるし」を示してくださいました。この愛は、どんな悲しみも乗り越える力を持っています。
遠くからこの祈りに参加されている皆さん、特に、同じように苦しんでいる子供たち、そして重い十字架を背負っているすべての家族の皆さん。神は皆さん一人ひとりを、そのまなざしで見つめ、抱きしめてくださっています。ベン君が旅の中で見つけた喜びのように、私たちもまた、日々の生活の中に神の愛の「しるし」を見つけることができますように。そして、神の愛と慰めの中で、希望を見いだすことができますように。アーメン。
For the intentions entrusted to Ben on our prayer wall:
At the Savior’s command and formed by divine teaching, we dare to say:
天におられるわたしたちの父よ、み名が聖とされますように。み国が来ますように。みこころが天に行われるとおり地にも行われますように。 わたしたちの日ごとの糧を今日もお与えください。わたしたちの罪をおゆるしください。わたしたちも人をゆるします。わたしたちを誘惑におちいらせず、悪からお救いください。アーメン。
主が皆様を祝福し、あらゆる悪から守り、永遠の命へ導いてくださいますように。アーメン。
✝ 全能の神があなたを祝福し、父と、子と、聖霊の恵みがあなたとと もにありますように。アーメン。