父と子と聖霊の御名によって。アーメン。
恵みと平和が皆様と共にありますように。
主よ、あわれみたまえ。 キリスト、あわれみたまえ。 主よ、あわれみたまえ。
今日の第一朗読で、ヒゼキヤ王は重い病にかかり、預言者イザヤを通して「あなたは死ぬ」と告げられます。しかし、ヒゼキヤは壁に向かって主に祈り、涙を流します。そして、主はイザヤを通して「あなたの祈りを聞き、涙を見た。私はあなたを癒し、あなたの命に15年を加える」と告げられます。何という神の慈悲、そして命への深い配慮でしょうか。
一方、今日の福音では、イエス様と弟子たちが安息日に麦の穂を摘んで食べたことで、ファリサイ派の人々から非難されます。イエス様は、ダビデ王が神殿の供えのパンを食べたことや、安息日に神殿で働く祭司たちが安息日の律法を破っても罪にならないことを例に挙げられます。そして、「わたしが求めるのは憐れみであって、いけにえではない」という言葉を引用し、「人の子は安息日の主である」と宣言されます。
この二つの朗読は、私たちに何を語りかけているのでしょうか。それは、神の御心は、律法や規則の背後にある「命」と「憐れみ」にあるということです。ヒゼキヤの命が神の憐れみによって延ばされたように、イエス様は安息日の律法よりも、飢えた弟子たちの命と、神の憐れみを優先されました。神は、私たちの苦しみや涙を見過ごされることはありません。むしろ、その一つ一つに深く心を留め、私たちを慰め、癒し、導いてくださるのです。
愛するベンジャミン・ヴォ君が天に召されてから4週間が経ちました。ベン君は、その短い人生の中で、どれほど多くの愛と喜びを分かち合ったことでしょう。彼は、その優れた知性だけでなく、周りの人々、特に家族への深い共感と優しさで知られていました。12歳の時、お父様の40歳の誕生日に、お父様を失うことを恐れて涙を流したという話は、彼の心の奥底にある、愛情深く、繊細な魂を物語っています。彼は、まさに神の憐れみを映し出すような、優しい心を持った少年でした。
ベン君の人生は、私たちに、神が与えてくださる命の尊さ、そして、たとえ若くして人生を終えたとしても、神の御心の中には深い意味と目的があることを教えてくれます。彼は今、天の宴で、聖カルロ・アクティスと共に、神の無限の憐れみと愛の中で安らかに憩っていることでしょう。
ベン君のご両親、アランさんとタオさん、そして弟のライアン君にとって、この喪失は筆舌に尽くしがたい悲しみであり、重荷であることと思います。また、ベン君を愛したすべてのおじ、おば、そして親しい方々も、深い悲しみの中にいらっしゃることでしょう。今日の朗読は、私たちに神の憐れみを思い出させます。神はヒゼキヤの涙をご覧になり、彼の命を延ばされました。イエス様は、律法よりも憐れみを優先されました。私たちの神は、私たちの涙、私たちの悲しみ、私たちの苦しみを深く理解し、私たちを抱きしめてくださる方です。
遠くからこの祈りに参加されている皆さん、特に、同じように苦しんでいる子供たち、そして重い十字架を背負っているすべての家族の皆さん。神は皆さん一人ひとりを、そのまなざしで見つめ、抱きしめてくださっています。ベン君の優しい心、彼が分かち合った愛が、皆さんの心に希望の光を灯し続けてくれますように。そして、彼が今、神の平和の中で安らかに憩っていることを信じ、私たちもまた、神の憐れみの中で、希望と慰めを見いだすことができますように。アーメン。
For the intentions entrusted to Ben on our prayer wall:
At the Savior’s command and formed by divine teaching, we dare to say:
天におられるわたしたちの父よ、み名が聖とされますように。み国が来ますように。みこころが天に行われるとおり地にも行われますように。 わたしたちの日ごとの糧を今日もお与えください。わたしたちの罪をおゆるしください。わたしたちも人をゆるします。わたしたちを誘惑におちいらせず、悪からお救いください。アーメン。
主が皆様と共に。全能の神、父と子と聖霊の祝福が皆様の上にありますように。アーメン。
✝ 全能の神があなたを祝福し、父と、子と、聖霊の恵みがあなたとと もにありますように。アーメン。